『その他の外国語:役に立たない語学のはなし』

黒田龍之助

(2005年3月20日刊行,現代書館ISBN:4768468926



【書評】

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◆この本,お薦めです◆

ロシア語を含むスラブ語族の専門家である著者は,長期の外国生活の経験はまったくないという.さらに,著者は,たとえ日本にいても外国語は十分に勉強できるだろうという.いきなり常識破壊的.ことばで苦労している読者は,本書に精神的な“救済”を求めない方がいい.ウィット漂う文体の向こう側には,著者自身が[楽しみつつも]とても努力して“ことば”を勉強している姿が垣間見え,メジャーで経済的に強い言語の影に隠れた「その他の外国語」を相手にひとりで頑張るイメージが湧いてくる.〈ことば〉はけっしてラクしてものになるようなものではないということだ.

本書は全体としてエッセイ集だ.第1章「三十三文字の日常」は,ことばを学びそして教える「風景」を切り取る.ことばをめぐるさまざまな常識がころっとくつがえされる意外感覚が心地よい.「ああ,そういうことなのか.そうだったのか」と教えられること多し.〈洋食のような日本のわたし〉では「留学経験がなくても.困ることはない.ナントカなる」(p. 44)と言い切る.しかし,読者は油断してはいけない.著者は,「留学しなくても,国内で頑張れば,ナントカなる」と言っているのであって,学ぶ本人が努力しなければどうしようもないのはもちろんだ.また,〈耳がいいとは何なのか?〉では,若い世代は必ずしも外国語に関して耳がいいとはいえないと自らの教師経験を踏まえて言う.「世代のせいにして努力しないこと」(p. 98)がもっともいけないことだと釘を刺す(やっぱり頑張らないといけない).この本,その文体に釣られて読み飛ばせない.キビシイことをさらりさらりと口にされる.常識破壊的といえば,第2章「二十二の不仕合せ」.「英語」マニア/語学的完璧バカ/留学至上主義/会話崇拝・読書蔑視/ラクして語学勉強 etc. すべて心地よくあの世に昇天できます.でも,いちばん「すぐ役に立つ」のは第3章「海外旅行会話十一の法則」かな.日本を出て現地に到達し帰国するまでの“言語生活”についてうまくまとめられている.とりわけ,著者は本を買いに外国に行くことがよくあるらしく,書店での振る舞いとか郵便局での郵送のこととか,ぼくの行動パターンと合致する点が少なくない.

言語の研究者に上質のエッセイストが多い(ように思われる)のは何か理由があることなのだろうか.単に“ことば”に対する感覚がするどいというだけではなく,異空間から現実世界を見ているような,非-言語研究者(一般人ね)には気づかないような面を読み取る感覚があるのだろう.著者のことば:




わたしが言語学チェコ語セルビア語を習ったC先生は,本当にビールがお好きだった.(p. 80)



あらまあ,そうだったのですか.上の条件を満たす「C先生」と言えば,『プラハの古本屋』(1987年3月20日刊行,大修館書店,ISBN:446921096X)などの言語学エッセイ本も書いた「あの人」しかいないように思う.遺著となった『言語学フォーエバー』(2002年7月1日刊行,大修館書店,ISBN:4469212741)の口絵なんかまさに「その人」ではないか.そういえば,エッセイの書き方にも相通じるものがあるような.※はずしていたらごめんなさい.

この著者の文体はときどき「毒」が強めだったり「薬」が苦かったりする.でも,基本的にはとてもマジメな内容で,くすっと笑ったりしつつ,“ことば”とつきあう上での基本姿勢について教えられるところが多い.

三中信宏(20/April/2005)