『風景と記憶』

サイモン・シャーマ

(2005年2月28日刊行,河出書房新社ISBN:4309255167



第2部「水」を読了.160ページほど.第5章「意識の流れ」は,水を操る人々のエピソード.屋敷の中に大掛かりな「水流」を敷設することのもつ意味.“知の泉”と“始原水”との関わり.続く第6章「血また流れる」では,南米の「エル・ドラド」伝説から始まり,そして一転いきなりターナーの絵が登場.ディテールを縦横に紡ぎ合わせる著者と対抗するには,訳者も役者でなければならない.ターナーの作品〈雨,蒸気,速度 — グレート・ウェスタン鉄道〉に関する記述:




しかし,この茫々と文目も分かぬ水色情緒,湖と紛われるような無方向性あればこそ,走り抜ける鉄道の決然たる方向性,というか力の線の簒奪ぶりがくっきりと鮮やかになるのである.実際にはターナーは,左側にある人馬の通る古い橋の角度を少しうそに描いて,向うの方では川を渡るというより川に従うように見えるようにしている.ところがこちらの新橋は確かに横切るのだ.水と石の大きな流れが鉄と煙の線に切られる.わざわざ新しい世代のもの書きたちに,昔は水にたとえた百代の過客たる時間も今や汽車百台の貨客ですとか何とかわざわざ教えてもらう必要など,ターナーには毫もなかったわけだ.(p. 422)



ガンバレ! 役者,じゃない,訳者.

—— 続く第3部は「岩山」が主題.