『パースの生涯』

ジョゼフ・ブレント

(2004年12月5日刊行,新書館ISBN:4403120172



買ったままずっと放置していたのだが,ぼちぼちと.C. S. Peirce というのは相当に“錯綜”した生涯を送ったということなのだろう.本書を除いてはまとまった伝記らしいものはないそうだ.

こんなくだりがある:




事実は自ら証しはしない.それは人生の謎めいた残骸で,どのように扱ったらよいかよくわからないものである.一世紀以上前にパースが彼の説明モデルにおいて指摘したように,事実は,演繹的に意味され次に帰納的に証明されることになる推量,憶測,仮説の可謬的な声によってのみ物語られる.それがいかにつまらないあるいは重要な歴史であろうとも,いかなる歴史をも我々が求める説明を指し示す仮説を何とかしてつくり出さないかぎり,意味を持つことはない.歴史著述家の行なうことの多くは,パースが憑かれたようにその人生をかけて研究した主として仮説的な論理によって記述されるのである.(pp. 40-41)



とんでもない訳文ではあるが(苦痛だ),背後にある原文のメッセージ性はとても高い.

この本は,電話帳のように部厚いが,読み進むにつれてしだいにおもしろくなってくる.チャールズ・S・パースの父であるベンジャミン・パースは,米国の国立科学アカデミーの創立者のひとりだったそうだ.エイブラハム・リンカーン大統領とともに描かれた肖像画が載っている(そこにはルイ・アガシーもいたりする).そして,息子チャールズは,ハーヴァード大学のあるケンブリッジに生まれ育った.論理学の卓越した地位が印象的だ.

第1章「父・息子・メルジーナ」では,父親ベンジャミンからの強い[強過ぎる]影響があったことをうかがわせる.後半生の「危うさ」の予感は子どもの頃からあったようだ.

アブダクションに関するパースのことばを拾う:




我々のもっている知識の全体構造は帰納的推論によって裏づけられ純化された純粋な仮説という一枚のフェルトのようなものであるというのが真相である.一歩一歩アブダクションを行なうことなくしては,ぼんやりと見つめることから一歩も知識を前に進めることはできない.(pp. 136-137)



第2章「『我らが勝利のときは喪失のとき』」では,パースやウィリアム・ジェイムズ,そしてルイ・アガシーを含むボストンの知識人たちがつくったアメリ東海岸の秘密結社〈The Metaphysical Club〉について少し論じられている.プラグマティズムの母体と呼ばれるこの結社はわからない点が多く,その存在そのものが疑問視されたことさえあったと著者は言う.

この〈The Metaphysical Club〉そのものを論じた本がその後出ている:Louis Menand『The Metaphysical Club』(2001年刊行,Farrar, Straus and Giroux,ISBN:0374199639目次). この〈The Metaphysical Club〉といい,同時代のロンドンでの〈The X-club〉といい,とてもアヤシそうで惹かれるものがある.

もうひとつの話題:20世紀初頭に『哲学・心理学辞典』を編んだ J・M・ボールドウィンの名前がよく出てくる.ぼくの『系統樹思考の世界』に載っている「ポルピュリオスの樹」(p. 51)の図版はほかならないこの辞典が出典だ.パースとも関わりがあるとは知らなかった.

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