『コーネルの箱』

チャールズ・シミック柴田元幸訳]

(2003年12月10日刊行,文藝春秋,東京,165 pp.,ISBN:4163224203版元ページ

【書評】※Copyright 2004, 2011 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved


2004年の元旦は詩人チャールズ・シミックの『コーネルの箱』とともに明けた.【箱】の芸術家として知られるジョゼフ・コーネルの作品【箱】にシミックがエッセイを付けたもの.コーネルという芸術家についてはそれまでまったく知らなかったが,たまたま書店でブツを見かけたのでゲット.【箱】の中に世界をつくってしまうという前衛的な芸術実験が魅力なのだろう.



コーネルは生涯にわたって詳細な〈日記〉をつけていて,それもまたひとつの作品のように扱われているらしい.その一部はすでに活字化されている:Mary Ann Caws (ed.)『Joseph Cornell's Theater of the Mind: Selected Diaries, Letters, and Files』(2000年刊行,Thames & Hudson, New York, 480 pp., ISBN:0500282439).



シミックのこの本のいたるところで,コーネルの〈日記〉への言及がある:

「すべての些細な物に意味がみなぎる,完璧な幸福な世界に没入していく」[p.52]



「妄執[オブセッション]に形を与えようとする懸命の企て」[p.10]



さらに,シミックのこういうことばも:


「子供たちは,自分がいまだ世界の主人公である,時計のない日々の幸福な孤独を生きている.箱は想像力が君臨していた日々の遺宝箱なのだ.むろん箱たちは,子供のころの夢想に立ち戻るよう私たちを誘っている」[p.90]



「小さな箱は子供のころを覚えている/そして切ない切ない願いによって/彼女は再び小さな箱になる」[p.89:ヴァスコ・ポーパの詩から]



【箱】に対する偏愛と言ってしまえばそれまでだが,たまたま偶然,年越しの書評本であるランドル・ケインズダーウィンと家族の絆』(原書『Annie's Box』)を並行して読んで偶然の妙に驚いた.ケインズの本の原題は『アニーの文箱』なのだが,それは〈コーネルの箱〉にちなむタイトルだった.著者ケインズの祖母マーガレット・エリザベス・ケインズ(「M.E.K.」)に捧げられた献呈ページ(訳本ではp.18)の下にはこう書かれている:


「小箱を定義するとしたら,“もう誰も覚えていない遊戯”,詩の世界にあるような魔法の“可動部”付きの現実離れした玩具のようなものと言ってもよいかもしれない」――ジョーゼフ・コーネルの日記(1960)より



チャールズ・ダーウィンとその家族にとって,10歳で身罷ったアニーは確かに偏愛・妄執の対象だっただろう.エマ・ダーウィンが亡き娘の遺髪や遺品を愛用の文箱に納める場面(pp.372-373)はとても印象的だ.著者はコーネルの「【箱】の芸術」はもちろん知っていて,その上に〈アニーの文箱〉を重ね合わせた.奇しくも同年月日の翻訳出版されたこの二冊の本は予期せず互いに響きあっていた.



原書は:Charles Simic 1992. Dime-Store Alchemy: The Art of Joseph Cornell. Harper Collins, New York.



三中信宏:2004年1月1日/2011年2月19日)