『生物学名概論』

平嶋義宏

(2002年10月07日刊行, 東京大学出版会[Natural History Series], ISBN:4130601814



【書評】

※Copyright 2002, 2007 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved


「余人をもって換えがたし」――この著者にして,はじめてこの本は可能になった.『学名の話』(1989)・『生物学名命名法辞典』(1994)・『新版・蝶の学名』(1999)という,同じ著者による浩瀚きわまりない「学名学」シリーズに連なる最新刊である.既刊に親しんできた読者は,何の抵抗もなく本書を読み進むことができるだろう.そして,はじめて本書を手にした読者は,「学名」の歴史的背景を垣間見ると同時に,「学名学」の冥い淵に思わずたじろいでしまうだろう.学名研究という分野は「逢魔が辻」だと私は感じた.

  • 学 名 学 にとっては,「人類が育ててきた文化であり,人類共有の財産」(p.8)である生物の学名を「守り育てるのは生物学者の義務である」(p.230)と訓話される.
  • 学 名 学 にとっては,学名は「知的欲求を満足させてくれる」(p.v)の対象とみなされる.それゆえ,「良識ある分類学者」(p.139)は,学名を支えているラテン語ギリシャ語の素養をもつ必要があるということになる.
  • 学 名 学 にとっては,分類学専攻であるか否かを問わず,「学名に挑戦する意欲」(p.231)が重要であると考えられている.
  • 学 名 学 にとっては,学名は「情報源としても機能」(p.8)し,「すべての情報はその学名に蓄積される」(p.228)とみなされている.

本書の大部分は「語彙辞書」と「六法全書」である.学名学に少しでも関心をもつ読者は,本書の内容に親近感を覚えるにちがいない.ハマキガ(Tortricidae)の「拷問者」という由来や,シャクガ(Geometridae)がなぜ「幾何学者」なのかを知ることは,それぞれの生物の特性の理解につながる.ちょっとだけうれしい気もしないではない.

しかし――学名学の基盤には,「分類学」というもっと生物学寄りの学問があるのではないか.ぼくの目には,本書は「ある分類学的信念に導かれた語学書」以外の何ものにも見えない.リンネの時代には,確かに二名法は生物の体系化にとって,(認知的に見て)きわめて効率的な方法を与えた.しかし,リンネの命名体系のみを語学的に「単離」してその美学的評価をすることに(第3章),いったいどれほどの現代的意義があるのか,ぼくには理解できない.

すべての学名には由来があるのは当然だろう.それを知ることが学名学であるのならば,そういう学問もあっていいとぼくは思う.でも,学名の語義を云々する前に,分類学に対するもっと広い視野をともなう議論が本書に含まれてしかるべきではなかっただろうか.命名規約に関する第4〜5章は,そういう論議の場であってほしかった.規約の解釈に終始するこれらの章は確かに現場の分類学者にとっては有益な情報を含んでいるのかもしれない.しかし,ぼくは,命名規約の根幹に関わる最近の論議(たとえば PhyloCode のような【別文化】の登場)がここでなされるべきだったと思えてならない.

本書に決定的に欠けているのは「総論」である.著者は言う:「学名は人類が存在する限り存在し続ける」(p.120)――そういう「箱崎の神託」を読者がそのまま真に受けるとでも著者は本当に考えているのだろうか.学名学が全面的に根付いている分類学の総論的議論なくして,いたずらに詳細な語義詮索は読者(分類学者の「卵」も含めて)の意欲を喪失させるということをちょっとでも考えたりしなかったのだろうか.広い意味での「社会」への視点が欠けた構成だと私は感じた.

学名学というものが学問として成立し得ることを認めつつも,そして本書の著者が現時点では数少ないこの分野での泰斗であることを認めつつも,ぼくは本書は



  き わ め て 正 確 に 的 を 外 し て い る


と思う.学名学が分類学とどのようにかかわってきたのか,今後どのようにかかわっていくのか――それを理解するには「語学」と「法学」だけでは力不足だと思う.

本書のカバーデザインは,東大出版会ナチュラル・ヒストリー・シリーズにしては斬新で人目を惹く.濃紺の地に経文のようにびっしりと書き連ねられた学名を見て,ぼくは即座に【耳無し芳一】を想起した.やっぱり逢魔が辻だったんだ.

三中信宏(30 October 2002:部分改訂あり[15 May 2007])



なお,上の書評を踏まえて,鈴木邦雄・三中信宏の連名で書評を出した:『生物科学』55(1): 52-53 (2003.10)