Aviezer Tucker
(2004年刊行, Cambridge University Press, ISBN:0521834155 → 目次)
買ってすぐに序章「Introduction : The Philosophy of Historiography」と第1章「Consensus and Historiographic Knowledge」を読み進んだものの,歯ごたえあり過ぎてそのまま放置してしまった.あるコミュニティにおける“合意”が知識であるという著者の立論はそのまま受け取っていいのか,それとももっと深い意味があるのか測りかねるところがあった.
ふと思い立って,第2章「The History of Knowledge of History」の方を先に読んでみたら,意外にするするといける.そこから逆行して前の章を読み直してみた.「歴史(history)」とは過去の事象であり,「歴史叙述(historiography)」とは過去の事象に関する表現である.本書では,「科学的歴史叙述(scientific historiography)」 — 「historiography that generates probable knowledge of the past」(p. 1) — の歴史と哲学を中心テーマとしている.「科学的」とあえて形容するのは,著者が歴史叙述と証拠との関係を重視するからである(p. 8).直接的な観察ができない過去の事象を科学的に論じることは不可能であるというよくある誤解に対して著者は反論する.むしろ,眼前のデータのもとで歴史叙述がどの程度の決定性を有するか — 仮説の絞り込みがどれほどできるか — が歴史叙述の哲学が直面する問題だと言う(p. 9).
著者は,科学的歴史叙述の例として,まずはじめに聖書文献学,比較文献学,そして歴史言語学を挙げる.これらの学問に共通するのは「共通要因の遡求」である(p. 21).聖書や異本や言語に関する比較データのもとで,類似と差異を共通要因を仮定することによって説明するというスタンスが共通していると著者は言う.ここでの歴史叙述科学(historiographic sciences)は,実は「古因学(palaetiological sciences)」に重なる学問カテゴリーの分け方であるのが興味深い.
続く第2章では,歴史叙述科学の史的成立について論じられている.先行する第1章に比べてはるかにわかりやすい.本章では,著者の言う歴史叙述科学(historiographic sciences)のたどった歴史と共有される特徴について述べられている.歴史に対する従来的な歴史叙述がもつ価値観は「権威」に対する盲従だったと著者は指摘する(p. 47).それに対して,批判的(科学的)歴史叙述はそのような「権威」に対する疑念を抱くことから始まる:
Whereas traditionalist cognitive values counsel trust in a tradition, critical cognitive values demand the examination of evidence for the causal chain that allegedly connected past events with present evidence.(p. 48)
「証拠」に対する批判的態度が歴史叙述の新しい思潮を生み出したわけだが,それを背後から推進したもう一つの力は17世紀科学革命だった.しかし,そのような懐疑論が行き過ぎると,歴史学そのものに対する否定的な見解を助長することになる.デカルトやロック,ヒュームら著名な思想家が歴史に対して冷淡な態度を取ったことを著者は指摘している(pp. 51-53).一方では歴史的権威に対する盲従があり,他方には歴史知そのものに対する否定がある.科学的歴史叙述はその中道を進むことになる(p. 52).
ここでいう科学的歴史叙述の具体例として,著者は聖書学(biblical criticism),古典文献学(classical philology),そして比較言語学(comparative linguistics)をまず挙げる.1780年に出版された J. G. Eichhorn の『Einleiting in alte testament』に始まるとされる聖書学は,聖書の異本間の比較検討のための方法を確立した.その中でもとくに現存する異本を結びつける「共通要因」としての「祖本」概念の提出は特筆されるべきである.:
The best explanation for the overwhelming similarities was in Eichhorn's opinion a lost common source that reached the author of Chronicles in a short and mutated form.(p. 56)
聖書学において確立されたこの方法は,聖書以外の古典に関する比較文献学に伝承され,さらに比較言語学にも伝えられた.歴史叙述の科学的方法の先駆にあたるこれら三つの学問分野の特徴を著者は次のように要約する:
The theoretical core of critical historiography overlaps with that of biblical criticism, classical philology, and comparative linguistics. These sciences attempt to infer information about a cause from relevant similarities among its putative present effects, the evidence, by inferring the information-causal chains that connected the cause, the alleged source of the information, with its effects, the alleged receptors of the information.(p. 74)
要するに,現在を知るために「過去の共通要因」を探るという点でこれらの科学は共通性があるということだ.
さらに,このようにして成立した科学的歴史叙述は,チャールズ・ダーウィンの進化学にも流れ込んでいったと著者は言う.ダーウィンが活動した時代は,比較文献学(Friedrich Ritschl)と比較言語学(August Schleicher)が写本や言語の系統樹を描いた時期に重なる.著者は,そのような歴史叙述の考え方がターウィンにも強い影響を与えただろうと推測している.
このような歴史叙述科学(historiographic sciences) — 聖書学,古典文献学,比較言語学,そして進化生物学 — に共有される柱は次のふたつだ:
It's obvious that all the sciences that have been discussed here share two stages of development:
(pp. 90-91)
- A theory proves that similar evidence is not coincidental, but consists of similar effects that preserved information about their common cause or causes.
- More evidence and theoretical background allow the probable reconstruction of intervening stages, informational causal links, between the common cause or causes and the similar effects.
—— 「共通要因」と「過去推定」という歴史叙述科学が共有する二つの特徴が以降の章のキーワードとなる.