『Our Knowledge of the Past: A Philosophy of Historiography』

Aviezer Tucker

(2004年刊行,Cambridge University Press, Cambridge, x+291 pp., ISBN:0521834155詳細目次版元ページ



本書の中心をなす第3章「The Theory of Scientific Historiography」を読み進む.なかなかおもしろいな(再来週の湯川シンポのネタになりそう).「ベイズ主義と歴史記述的確証」という節では,historical narrative の証拠に基づく検証をベイズの定理に基づかせようとする.要するに,データさえあれば仮説の善し悪しが判定できるという(著者のいう)論理実証主義の立場を離れたとき,残された道はベイジアンになるしかないという立場だ.

続く節「Comparison of likelihoods: concise Bayesianism」では,“簡略版ベイジアン”としての“尤度主義者”のスタンスが明らかにされる:




A frequent criticism of the usefulness of Bayesian logic for understanding science argues that it is difficult to quantify and compare the expectancy of the evidence. Another criticism of the classical Bayesian model emerged from the historiography of science: Scientists rarely consider the merits of a hypothesis in isolation. Usually scientists compare the relative probabilities of competing hypotheses.(p. 99)



要するに,対立仮説間の相対的サポートに科学者の関心が向けられるとき,ベイズ主義は“簡略化”されると著者は言う.




In response, some Bayesian philosopher of science suggest to concentrate on the ratio between the likelihoods of evidence, given competing hypotheses and shared background information.[……] This interpretation of Bayesianism is in the tradition of Peirce (1957) who proposed that scientists do not evaluate explanations according to ideal independent criteria but compare them to each other in what he called “abduction.”(p. 99)



たとえば,A. W. F. Edwards の『Likelihood』(1972年刊行, Cambridge University Press → 目次)でも,データによる仮説の相対的サポートの論議は,まずベイズの定理から始まり(Chapter 2),その後に対立仮説間の尤度比へと移行していった(Chapter 3).Tucker にとってこの「移行」はベイズ主義の“簡略化”にほかならないと解釈されている.もちろん,この文脈で Tucker が引用する Elliott Sober は自分が“簡略版ベイズ主義者”と呼ばれることにきっと反論するだろうけどね.

著者は,彼の言う分野横断的な「歴史記述科学(historiographic sciences)」(写本系譜学,歴史言語学,そして進化生物学を含み,W. Whewell の palaetiological sciences とほぼ重なる)がもつ共通の性格は「共通原因の究明」にあると考えている.その上で,Hans Reichenbach (1956) の提唱する「共通要因の原理(The principle of common cause)」に照らして,その内容を明らかにしようとする.W. Salmon やら E. Sober やらが入れ代わり立ち代わり登場する.確率論的因果性における「Screening-off」−久しぶりにこの言葉と再開した.

W. W. Greg の異本論『The Calculus of Variants』(1927)における「variational group(変異群)」を一般化して,共通要因の探求を形式化する.共通要因仮説Hcと個別要因仮説Hsのもとで変異群Gが観察されるベイズ事後確率比 P(G|Hc)P(Hc)/P(G|Hs)P(Hs) を考える.Sober はこの比率の尤度比 P(G|Hc)/P(G|Hs) のみに基づく議論を展開した.これに対して,著者は事前確率比 P(Hc)/P(Hs) も評価できるのではないかと言う.

写本系統の確率モデルについては,1970〜80年代にかけて,イギリスの王立統計学会(The Royal Statistical Society)の紀要に数編載ったことがあるが(コピーは手元にある),その後の進展も気になるところ.多くの場合,比較言語学と写本系統学とはタイアップしていることが多いので(Henry M. Hoenigswaldの著作のように),歴史言語学関係のジャーナルに埋もれていることも考えられる.Tucker本にあった:Christopher Hitchcock (1998), The common cause principle in historical linguistics. Philosophy of Science, 65: 425-427 は完全に見落としていた.

第3章で,科学における探究対象としての「共通原因タイプ」と「共通原因トークン」とのちがいが強調されている(pp. 100-102).彼の言う歴史記述科学の共通的特性は「共通原因」の追求にある.しかし,「共通原因」には,物理学や化学での重力とかクーロン力のような普遍的法則として定式化される「共通原因タイプ」と,ある特定の事象をもたらす(単系統群gの共通祖先aのような)個別の「共通原因トークン」がある.歴史記述科学が求めているのは,前者の共通原因タイプではなく,後者の共通原因トークンであると著者は主張する.