『国語学原論 続編』

時枝誠記

(2008年3月14日刊行,岩波書店岩波文庫青N-110-3],ISBN:9784003815038



昨年に出た正編にあたる:時枝誠記国語学原論(上)』(2007年3月16日刊行,岩波書店岩波文庫 青N-110-1], ISBN:9784003815014)と時枝誠記国語学原論(下)』(2007年4月17日刊行,岩波書店岩波文庫 青N-110-2], ISBN:9784003815021)では気づかなかったが,この続編では「歴史言語学」の方法論に関する章(第6章「言語史を形成するもの」)が含まれている.

この章には,斜め読みしただけだが,なかなか興味深い記述が見える.まずはじめに,時枝は,言語進化を担う「外在物」としての「言語(ラング)」の存在を頭から否定する:




歴史は,変遷を荷う当体がなければ,成立しないというものではない.それどころか,人間の作り出す歴史というものには,歴史的変遷を荷う当体というものが考えられないのが,普通である.時代史における歴史の流れにしても,平安時代が,次第に変貌して鎌倉時代になったのではなく,それらは,それぞれに個々独立した時代機構を構成して,次の世代へと入替わると考えるべきである.言語史において,史的変遷を荷う当体としてのラングを考える考え方は,人間の歴史を,自然史よりの類推において考える誤りに立っているのである.(pp. 235-236)



時枝をして,言語の歴史を担う“central subject”に関してこれほどまでの悲観主義を表明させる背景はいったい何だったのだろうか.歴史言語学における「系譜主義」は,当時の自然史における進化思想に起因するのではなく,むしろ歴史言語学の母体である比較文献学の manuscript stemma に求めるべきだろう.また,言語や道具や文化のような“構築物”の系譜関係はそれをつくったヒトの系譜関係からの extended phenotype と考えれば何も問題は生じないだろう.系譜を担う“当体”は lineage として確かにある.だからこそ,palaetiological sciences が文理にまたがる学問として成立するといえる.

さらに,時枝は,第5節「国語史の特質」において,国語史研究における「樹幹図式」(p. 258)と「河川図式」(p. 260)とを対置させ,比較言語学の tree-thinking とは対立する立場に立とうとする.言語系統樹に批判的な時枝は,なぜ祖先から子孫への分岐が言語学史において重視されたかを問いつつ,次のように論じる:




その理由の一つは,自然史より類推された言語史観である.言語史を以て,資材的言語ラングの崩壊成長の過程と見る言語史観である.[……]そこでは,自然史が,無機物や有機体の発生の根源に興味を持ったように,言語についても,その根源へ根源へと遡行して,失われた祖語の再建に学者の興味と関心が向けられたのである.その際,国語の中に流れ込んだ異質物は,問題ではなく,むしろ,それらを拭い去って,ただ源流を探求することが大切なことであったのである.ヨーロッパ史言語学における一元的なものの追求という研究態度は,印欧言語族が,同一祖語より分化発展したという実際が,導いたものであるにしても,既に述べたように,当時の自然科学の研究方法が反映したと見ることは,誤っていないだろう.このようにして,自然発生史の樹幹図に倣って,言語発達史の樹幹図が作られるようになったのである.(pp. 258)



時枝の犯した誤りは,歴史言語学が当時の自然史(たとえばヘッケルの系統学)に影響されたという見解にある.事実はむしろその逆で,時代的には言語系統樹や文献系図の方が一世紀先行する.したがって,時枝は自然史ではなく,自らの言語学それ自身の「ルーツ」を断ち切ろうとしたことになる.

時枝は,既存の歴史言語学が依拠していた上述の「樹幹図式」に対して,向きを逆転させた「河川図式」に則って考察すべきであると言う:




言語過程説においては,言語は人間の行為であり,従って,それは,また,当然,文化の一つである.文化の歴史は,自然史のように,樹幹図式によって把握されるべきものではなく,河川図式によって把握されなければならない.一本の川には,水源を異にした大小幾多の支流が流れ込んで,下流の大をなしている.そこには,種々様々な土質が流れ込んでいるに違いない.それらの構成分子を分析し,それらがどのように組合わされて,下流を成しているかを明かにすることが必要である.我々が知りたいのは,源流の奥の水源ではなくして,我々が,今,立っている下流についてである.(pp. 260)



このような立場のちがいは,言語だけでなく,生物の場合も同様に見られる.広義の「比較法」による系統推定は,それをいっぺんに解決するための方法として提示されてきたとぼくは理解している.

—— この本では「樹幹図式」(p.263)と「河川図式」(p.264)が実際に図示されているのだが,著者の説明に従うかぎり,図の指示が正反対だろうと思う.読者はきっと混乱するにちがいない.