『実在論と知識の自然化:自然種の一般理論とその応用』

植原亮

(2013年12月20日刊行,勁草書房,東京,vi+330+17 pp., 本体価格5,700円, ISBN:9784326102273目次版元ページ

【書評】※Copyright 2014 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



実在論的スタンスの勝利宣言か

2014年2月4日に九州大学箱崎キャンパスで開催されたセミナー「目で見る多様性の体系:分類と系統はどのように描かれてきたか?」のおり,ワタクシはこの新刊は生物分類学にとても関係がある本だと聴衆に力説した.そのとき,「【種】はあると信じたい方はぜひこの『実在論と知識の自然化』を読んでシアワセな人生を送ってくださいね」と焚きつけたのだが,ひょっとして真に受けたオーディエンスがいたりするのだろーかと今になって不安になってきた.



以下,『実在論と知識の自然化』を読了した感想である.ある時空断面での「実在論」を論理的に構築する点では本書は確かに完結していてこれでいいのかもしれない.しかし,生物体系学での【種】問題にまつわるこれまでの論議の系譜に照らして考えると,本書には書かれるべきことが書かれていない点がいくつかある.著者は生物体系学者が潜在的読者であることを念頭に置いていなかったのではないかもしれない.哲学あるいは形而上学のコミュニティーならばスルーされたとしても,生物学者の観点からは見逃せない箇所が確かにある.たとえば,冒頭で著者は次のように言う:


「われわれが世界を一定の秩序において捉えることができるのは,世界そのものがおおむねまさしくそのような構造を有しているからにほかならない.いいかえれば,実在の側のあり方と,それについてわれわれが現にもちうる認識とは,ほとんど合致するのである.もちろん部分的には,最初にわれわれがもっていた素朴な認識を大幅に改訂しなければならなくなる局面も生じうる.しかし,その場合でも,認識が実在のあり方に合致する領域は改訂を通じて増大していくのであり,われわれの認識が世界の真の姿をおおむね正しく捉えることができる,という可能性が何ら否定されているわけではないのである」(序章, p. 4)



このような楽観的な実在論の教義はいったいどこから降臨してくるのだろうか.民俗分類学認知心理学の過去半世紀の研究成果はそうではないことを強く示唆しているのではないだろうか.あるいは,著者の言う「おおむねまさしく」とか「ほとんど合致」という表現の捉え方に違和感があるのかもしれない.いずれにしても,本書全体を通じていたるところに漂う「実在論おっけー」な雰囲気にワタクシはそのつど疎外されてしまう.それ,ちがうんじゃないか,と.



実在論(=本質主義)と唯名論(=規約主義)の対立は,生物体系学の世界では【種】をめぐる論争において表面化してきた.著者は次のように両者の立場を対置する:


実在論によれば,種は実在するものであり,人間はそれに合わせて概念的なカテゴリーを得ようとする.さまざまな動物をイヌやネコといった動物種に分類するのは,世界の中にまさしくイヌやネコといった動物種が存在しているからだ.われわれは世界の中の対象を分類するとき,単に人間の都合で取り決めを行っているわけではなく,実際に世界が分割されているありようを捉えようとしているのである.したがって競合する複数の分類体系があるとき,それらは正しさや誤りといった基準で評価されるべきものだということになる」(第1章, p. 14)



「これに対して規約主義によれば,世界に存在するのは個体だけであり,種は複数の固体をひとくくりにまとめて指すために人間が便宜的に作り出すものである.たとえば,イヌやネコの個体のそれぞれは世界の中で生み出され存在するものであるが,それらの個体を一括してイヌやネコという動物種に分類するのは,人間の利害や関心に応じた有用性のためである.したがって規約主義の立場からは,競合する複数の分類体系があるとき,そのうちどれを選ぶべきかについては,正誤という点ではなく,あくまでも人間にとっての有用性という点から定まることになる」(第1章, p. 14)



ワタクシは徹底的に唯名論的スタンスを標榜しているので,上記引用の「規約主義」の叙述でもまだ不十分だと考える.「個体が実在する」という見方さえ,根本的には支持できないだろうからである.一方,著者は本書丸ごと一冊を実在論の擁護に当てて続く章でその論議を展開している.



人工物や知識が自然種(natural kind)であるかどうかには関心がない.むしろ,生物体系学に関わる範囲で本書の論議がどのような意味を持ちえるのかに興味がある.その点からいえば,著者の論議からは存在物の時空的な系譜なり連続性に関する視点がすっぽり抜け落ちている点で不十分に見える.



たとえば,なぜ【種】論争における「種個物説」の中で類(class)と個(individual)の間に歴史群(historical group)なるものが必要になったかを著者は理解していないようだ.ある時空平面で現象世界を “切断” した断面に見える “パターン” が「ある」かどうかは確かに論議できるだろう.著者の展開する実在論の世界はこの静的かつ無時限的な世界ではそれなりの有効性を持ちえるかもしれない.しかし,過去から未来にわたる時空的連続性を視野に置いたとき,【種】は自然種としてあるという見解はどのように繕っても悪しき本質主義の香りが漂う.



形而上学が,程度の差こそあれ,本質主義的傾向をもつことに前から興味を持っている.実在論唯名論はそれぞれがさまざまな変異をもつ主義主張なので,対置させることは簡単ではない.たとえば,David Wiggins『Sameness and Substance』(1980年刊行, Basil Blackwell, Oxford, ISBN:0631190902目次)の主張は,著者の立場からは「規約主義」とみなされるようだ(p. 118).しかし,私が Wiggins の類種(sortal)に関する議論を理解できた範囲では,Wiggins は弱い本質主義を掲げるりっぱな実在論者である.



また,本書では「心理的本質主義」の扱いはかなりバイアスがかかっているのではないだろうか.著者は言う:


「幼児は,自然種の存在を強く示唆する兆候的性質に強く反応すべく生得的に傾向づけられている.そうした兆候的性質が自然種のもつ本質に由来するものであるとすると,幼児は単に表面的な類似性しかもたない対象よりも,自然種の成因からなる対象をグループ化することになるだろう.このことは,本質をもつものとして自然種を捉えようとする心理的傾向が幼児にあることを示している.この傾向は「心理学的本質主義(psychological essentialism)」と呼ばれるものである」(第1章, p. 23)



ここまでは妥当な説明であり,ワタクシにも納得できる.しかし,これに続く結論には首肯できかねる:


「自然種に反応し,獲得された自然種概念を帰納的推論において行使しようとする強い生得的傾向は,クワインのいうとおり,世界がまさしく自然種からなり,人間の祖先がそうした世界になるべく適合するような認識のメカニズムを進化の過程で獲得してきたという事実を示唆していると思われるのである」(第1章, p. 23)



心理的本質主義は,著者の言うような実在論に対してではなく,むしろ唯名論に対してより強い支持をすることは,Hilary Kornblith『Inductive Inference and Its Natural Ground: An Essay in Naturalistic Philosophy』(1993年4月刊行,The MIT Press, ISBN:0262111756 [hbk] / ISBN:0262611163 [pbk])が指摘している通りだろう:


「現在得られる証拠からいえることは,自然種が存在しそれは観察されない性質により類たらしめられているという現象世界に関する仮定をわれわれが置いてしまう先天的性向があるということである.われわれは自然種には本質がある(たとえそれが観察されないとしても)と仮定している.したがって,われわれはいついかなる時でも観察された特徴によって物を分類してはおらず,観察された特徴はその物の本質を示す不完全な手がかりにすぎないことに何の疑念も抱いていないという結論が得られる」(Kornblith 1993: 81)



われわれ人間は自然側の因果構造の反映として自然種を認識しているわけではなく,自然を離散的にカテゴリー化するという世界像(すなわち心理的本質主義)をもって自然を見ていると考えた方が妥当ではないだろうか.本書全体を通して,もともと「ない」ものを「ある」と誤ってみなす “第一種過誤” の地雷をいたるところで踏みまくっている気がしてならない.



生物体系学での【種】や分類群の問題に関心をもつ者は本書を手に取ればきっと価値があるだろうと思う.実在論の観点に立って,ここまで体系をつくりあげたという点では日本語で書かれた稀有の本だろう.それを理解した上で,なお,対置される唯名論的スタンスはまだ安泰であることを本書を読んで再確認できたことはワタクシにとってはたいへん喜ばしい.その点で確かにワタクシにとって本書を読んだ甲斐はあった.



……と,ここまで焚きつけたからには,生物体系学者のみなさんはぜひ本書を手にするように.著者の立場に同調して心安らかに安眠できるか,それとも血圧がぐわっと上がるかは読者しだいだろう.



三中信宏(2014年2月9日)