『統計学を哲学する』読売新聞書評

大塚淳
(2020年10月30日刊行,名古屋大学出版会,名古屋, iv+242 pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-8158-1003-0目次版元ページ

読売新聞大評が公開された:三中信宏科学哲学の新たな到来 —— 統計学を哲学する 大塚淳著 名古屋大学出版会 3200円」(2020年12月6日掲載|2020年12月14日公開).



科学哲学の新たな到来

 評者は方々の大学や農業試験場統計学を教えた経験が長い。統計学と聞けばすぐさま難解な数学や数式を連想して震え上がる受講者を前に、「統計学の真髄は数学ではない」と説くことから始める。ばらつきのある不確定な現象に大昔から直面してきた人間には素朴な統計的直感が備わっている。統計学はヒトのもつ認知心理的基盤を無視できない。科学哲学もまた同様に確率論と統計学の基礎と深く関わっている。

 本書は、古典的な頻度主義統計学から始まり、ベイズ統計学、モデル選択論、深層学習、そして因果推論まで、主要なテーマを取り上げ、統計学と哲学との密接な結び付きを解きほぐす。統計学史上、頻度主義とベイズ主義とは長年対立してきた。認識論的に見れば、頻度主義とは可能世界を念頭に置く外在主義(判断主体の外に正当化の論拠がある)であるのに対して、ベイズ主義とは現実世界に足場を置く内在主義(判断主体本人が信念の論拠を有する)と喝破する著者に、評者は思わず膝を打ってしまった。

 本書のもうひとつの特色は、現実世界を切り分ける「自然種【ナチュラル・カインド】」という古来の概念を統計学に導入し、母集団における変量のばらつきを記述する確率モデルを「確率種」という自然種として解釈しようという提案だ。

 近年は“データサイエンス”だの“ビッグデータ”だのとうわついたカタカナ語が飛び交うことしきりだ。しかし、統計学はもともと既知のデータから未知の仮説への橋渡しをする非演繹的な帰納推論のための学問である。その背後には単なる数学的論理にはおさまりきらない哲学(存在論・意味論・認識論)上の諸問題が横たわっている。

 本書に取り上げられたトピックスをきっかけにして生産的な議論が大きく広がることを評者は確信している。個別科学と連携しながら発展してきた科学哲学がいま統計学と結びつくことで新たな時代の幕開きを感じさせる鮮烈な新刊だ。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2020年12月6日掲載|2020年12月14日公開)