『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す[増補版]』コメント

須藤靖・伊勢田哲治
(2021年5月30日刊行,河出書房新社,東京,342 pp., 本体価格2,000円,ISBN:978-4-309-25427-2版元ページ

須藤靖は「私は科学哲学が物理学者に対して何らかの助言をしたなどということは訊いたことがないし,おそらく科学哲学と一般の科学者はほとんど没交渉であると言って差し支えない状況なのであろう」(p. 16)と述べている.しかし,科学哲学に関する須藤靖のこの主張は,彼のホームグラウンドである “物理学” では正しい認識かもしれないが,ワタクシのように “生物体系学” の現代史を知っている者にとってはただの偏狭な間違った認識と言うしかない.個別科学ごとに「科学と科学哲学との関係」はそれぞれ異なるからだ.十数年前に出した:三中信宏 2007. 科学哲学は役に立ったか:現代生物体系学における科学と科学哲学の相利共生.科学哲学, 40(1): 43-54 [pdf: open access] は,当時のワタクシが理解した範囲での “生物学哲学” について述べた.世の中にはいろいろな科学がある.科学哲学を表立って議論せずとも,あるいは科学哲学を気にすることなくのびのびと生きていけるシアワセな個別科学が一方ではあり,他方でそうではない科学もあるというだけのことではないだろうか.

一昨年(2019年)にゲンロンカフェ #ゲンロン190222 に登壇したとき,伊勢田哲治さんからワタクシの「科学–科学哲学」相互関係に関する見解は必ずしもどの科学にも一般化できるものではないという指摘を受け,あらためて考え直すようになった.そのときの討論のようす → Togetter -「【ゲンロンカフェ】伊勢田哲治×三中信宏 司会=山本貴光「科学と科学哲学――はたして科学に哲学は必要なのか?」」2019年2月22日(金)19:00〜21:30@ゲンロンカフェ(五反田).

須藤が正しいか,それともワタクシが正しいかという二択はそもそもまちがいで,どの個別科学の話をしているかによって答えはちがう.もちろん,科学者だけが悪いのではない,かつての “大風呂敷” な科学哲学は,もっぱら “典型科学” たる物理学を対象として「そもそも科学とは〜」を論じていたからね.さらに言うなら,ある個別科学に限ったとしても,「いつ」「どこで」「どの世代」の科学者コミュニティーのことを指しているかによっても,答えはちがってくるだろう.科学と科学哲学との関係を論じるときにむやみに “大風呂敷” を広げることは禁物で,もっと小さい “布切れ” を広げるくらいの心構えでちょうどないか.—— このあたりの論議と考察はワタクシが書く予定の “次の次の本” の中心テーマだ.