石浦章一
(2005年3月10日刊行,平凡社新書263,ISBN:4582852637)
【書評】
※Copyright 2005 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
◆教壇での芸を磨くために◆
速攻読了.とてもおもしろい内容で刺激的,しかも示唆に富む.東大教養学部(駒場キャンパス)の学生による9万通を越えるアンケート調査に基づく,教員の授業内容に対する評価の分析と提言(ファカルティ・ディベロップメント)が本書の核心部分だ.かつて,そのシステムのもとで授業を受けた学生のひとりとして,また今では[ときどき]そのシステムのもとで教壇に立つ非常勤講師のひとりとして,この本に書かれていることは他人事ではない.
最初の第1章は,駒場での教育がつくられていくしくみについての概説.とくに,「部会」という駒場特有のシステムについて言及されている.個々の大学ごとにある固有の教育システムの存在を無視するわけにはいかないということだろう.
第2章は,学生による授業評価アンケートの集計結果をふまえた「総論」である.アンケート実施までには紆余曲折があったそうだが,実施してみたところ「学生による授業評価は自分の教育方法の見直しになって次回の授業の役に立つ」(p. 54)という教員側の認識が広まったという.学生側から見た時の授業の総合評価が,教員の「熱意」と正の相関を示し,「難易度」と負の相関をするというのは予想される傾向性だ(pp. 72〜73).英語教育に関しては,かつて話題になった駒場の教科書『The Universe of English』が今では学生から見放されているとか,高校までの理科の履修パターンのせいか一般教養としての理系科目の評価が低いとか,実習・実験に対する評価が厳しいといった指摘とともに,著者は「どんなに評判の良い授業でも,そのままでは時代遅れになる」(p. 71)と注文をつける.
続く第3章は,アンケート項目ごとの各論で,とくに教員による授業の進め方とその技術に関する集計結果が示されている.「今でも講義の間中,学生にずっと背を向けている教員が存在する」(p. 86)というのは,まあ十分にあり得ることだが(予備校だったら即クビだ),「初めて講師や助教授になった人の多くは,教育した経験がない」ために「余裕を持って教えていない」という状況(p. 87)の方が将来的にはきっと問題になるのだろう.
アンケートの各項目の分析を総括する第4章は,多くのことを教えてくれる.理系教員の場合は「教員の年齢が上がっていくにしたがって,同じ内容を教えていても学生から見ると授業が難しくなっているらしい」(p. 107)のに対して,文系教員ではまったく逆の傾向が見られる(p. 109)という予想外の結果があるそうだ.また,PowerPointのようなビジュアル教材を学生は求めているのに,その一方で「切り替えがはやすぎてノートにとれない」(p. 113)という不満が噴出するという現実を踏まえると,「スライド(パワーポイント)でしか授業できない教員は若手研究者に多いのですが,これもできるだけ避けるべきです」(p. 120)と著者は言う.
ファカルティ・ディベロップメントを論じた第5章で,大学の授業をどのように改善するかについての著者のメッセージは,その直裁な文体によってストレートに読者に伝わってくる.授業を良くするためには,教員は何をすればいいのか−−実にシンプルかつ有効な方策は,「教員相互の参観授業」(p. 135)すなわち「評判の教員の講義を見学するのが一番適切ではないかと思います」(p. 87)と著者は駒場での経験を踏まえて提言する.具体的に学生から見た「良い教員」とは,「ゆっくりと大きな声で断定的に」講義を進め,しかも「学生の顔を見て授業しており,間のとり方がうまい!のです」(p. 119)とのこと.その通り,実に納得できることだ.
本書に書かれてある内容がどれくらい一般化できるか,「本郷」や他の大学にもはたして当てはめられるのかという予想される論議の以前に,授業を提供する講師はそれを提供される学生からつねに「見られている」という認識が必要だという“ごく当然のこと”を著者が繰り返し強調していることに耳を傾けたい.本書を「東京大学の」とか「駒場ムラの」という限定句を付けながら読む態度はもちろん可能だろう(おしゃべりのネタ本にするためにはその方が気楽だし).しかし,むしろもっと一般的な意味で,「人の前で話をする」ための技法にはさまざまな改善の余地があること,そしてそのための具体的方策を本書を通じて知ることができたというのが,ぼくのように高座(教壇)に上がって噺(講義)をする機会が少なくない者にとってもっとも大きな収穫だった.
三中信宏(20/March/2005)
【目次】
はじめに
第1章 東京大学の授業と教員
1.東京大学のしくみ
2.進学振り分け制度とは
3.教養学部の授業体系
4.東京大学だけにある奇妙なムラ社会−部会という派閥
5.教員の年齢分布
6.授業はどのようにして作られていくのか
7.総合科目は教員の腕の見せ所
8.試験と採点基準はどうなっているのか
9.教員の授業・研究負担はどのくらいなのか−私の一日
第2章 ついに出た! 学生による東大教授の授業評価
1.授業評価実施までの道のり
2.教員勤務逆評定『恒河沙』の実態
3.学生生活実態調査から見えてくるもの
4.いよいよ授業評価が始まった
5.授業評価の結果から何がわかったか
第3章 東大生は東大の授業をどう評価したのか
1.授業スキル
2.学生の履修状況はどうなっているのか
3.授業の規模によって学生の評価も異なる
第4章 東大生から見た良い授業,教授から見た良い授業
1.開講日で差が出るのか
2.理系教員の年齢と教育
3.文系教員の年齢と教育
4.総合科目の評価は教員の年齢に依存するか
5.自由記述からわかったこと
6.ダメな授業の典型例
7.良い授業を行なうためのヒント
8.私の見た良い授業
第5章 授業評価を受けて,授業は改善したのか−ファカルティ・ディベロップメント
1.教授会における授業評価の報告
2.FDの試みと現状
3.データの公表をどう受け止めたのか
4.私見・教育の評価
5.FDの効果はあったのか
第6章 これからの東京大学の課題
1.法人化後の教員の評価はどうなるのか
2.年齢と仕事の関連性
3.授業評価に関わる東京大学の新機軸
4.東京大学をもっと知ってもらうには
あとがきに代えて−東京大学の将来