『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた』第2巻

ウリカ・セーゲルストローレ

(2005年2月23日刊行,みすず書房ISBN:4622071320



第3部「科学をめぐる闘いの文化的な意味」について.この大著の最後にあたる第3部では,長きにわたった社会生物学論争の意味と意義について,科学社会学の観点から総括する.「社会生物学オペラ」もいよいよ再終幕となった.とくに,科学論争における「道徳的論議」が重要であるという著者の見解が末尾で展開されているのが注目される.単に,1970〜1980年代の「社会生物学」だけでなく,それをとりまく現代進化学の“その後”(たとえばウィルソンの「生物多様性」論の起源とか)を視野に入れた立論がなされている.錯綜したストーリーを無理に解きほぐすのではなく,それでいてこの社会生物学タペストリーを紡ぎだした縦糸と横糸を明快に指し示す著者の力量はたいしたものだと思う.

第16章「社会生物学者とその敵:二五年後の棚卸し」−−この章では,20年に及んだ社会生物学論争の「その後」の知的状況の変化をたどる.1990年代以降のもっとも特筆されるべき変化は,人間そのものを進化的に考えるという観点への「抵抗」がしだいになくなってきたことだと著者は指摘する:

一九八〇年代の終わりに向かうにつれ,科学的発展と歴史社会的発展の両方の影響によって,顕著な風潮の変化がすでに現われていた.人間行動を生物学的に説明することに対する世界大戦後のタブーは破綻したように思われた.(p. 535)

人間行動の説明に生物学的な制約をもち込むことへの文化的な抵抗も比較的弱まっていった.…… 長きにわたった文化主義者と普遍主義者の闘争は,普遍主義者にとって有利な形で解決してしまったように思われる.(p. 536)


推進側を後押しする生物学における知的変化と同時に,批判側にとって不利な政治的要因が二つ重なったことも同時に考えなければならない:

いくつかの歴史的な出来事もまた,批判者たちの立場を弱体化させるのに力を貸したかもしれない.一九八九年[ベルリンの壁崩壊の年]以降,中心的な批判者の一部に見られたマルクス主義的立場は政治的により危ういものになってしまったようで ……(p. 537)

若い世代のポストモダン的関心に照らしてみれば,急進的な社会生物学批判者は,今や時代遅れの真理の擁護者として退けられてしまう危険があった.(p. 537)


つまり,マルクス主義そのものの危機とともに,ポストモダン科学論の擡頭が結果として社会生物学批判者の足を引っ張ることになったと著者は言う.この点については次の第16章で詳述される.

批判派がこのようにぐらつきつつあったようすを横目に,ウィルソン自身は社会生物学を推進した頃の〈Wilson I〉から,生物多様性への愛を伝導する〈Wilson II〉へとさらなる「進化」を遂げた(pp. 538 ff.).この移行は大成功で,政治的にまちがった〈悪い Wilson I〉と比べれば,政治的に正しい良き Wilson II〉は急速に学界と社会に受け入れられるようになったという.しかし,それはウィルソンが社会生物学から「転向」したことを決して意味せず,むしろ新たな次元での社会生物学的統一を目指していたのだと著者は言う.その現れが第17章の中心テーマである彼の著書『Consilience』(訳書『知の挑戦:科学的知性と文化的知性の統合』)だった.

これらの次なるステージに進む前に,著者は「ウィルソンは何を成し遂げたのか」という疑問に答えて,彼は社会生物学という「分野」を一挙に構築したのだと結論する:

すなわち彼[ウィルソン]は,その潜在的なメンバーに向かって,それが存在することを示すことで,一つの分野をつくりだしたのである−−部分的には,彼のプロジェクトへの貢献者として招き入れることによって!(p. 547)


この第16章の中で,ぼくが関心をもったのは,社会生物学を批判してきたルウォンティンと当時新たに発展しつつあった生物学哲学との関わりだ.遺伝子淘汰説に対抗する立場としての提出された Sober & Lewontin (1982) 「Artifact, cause, and genic selection」(Philosophy of Science, 49: 157-170)は,因果過程としての自然淘汰の単位は,必ずしも遺伝子だけでなく,それよりも上のレヴェルにも作用し得るという群淘汰(複数レヴェル淘汰)を主張した.この論文はエリオット・ソーバーがルウォンティンのもとで研究していたときの出力のひとつだ.後に,ソーバーの『The Nature of Selection: Evolutionary Theory in Philosophical Focus』での論議の核になる「selection for」と「selection of」の区別は,もともとルウォンティンとの共同研究が出発点となって結実したものだということに注目したい.同様に,「社会生物学に対する最も厳しい批判者」(p. 550)だったフィリップ・キッチャーの『Vaulting Ambition』(1985年,Cambridge University Press)もまた,ルウォンティンのもとで彼が研究を進めていた時の著作だと言う(p. 551).ルウォンティンには「後進をうまく育てる」力量があったのだ(p. 545).

群淘汰(複数レヴェル淘汰)をめぐる論争には表層と底流のふたつの「流れ」が潜んでいるようだ.この点については,第19章で再び論じられる.※何ともフクザツなことでして.

ポスト社会生物学論争(1990年代)を見渡すこの章には,ほかにも人間行動進化学会(HBES)設立の経緯とか,グールド/ドーキンスの踊る“タンゴ”とか,数多くのトピックスが詰め込まれていて,まとまりが悪い気がする.しかし,それだけ多くの「泡」が生まれ続けた時期でもあったということなのだろう.