『蒐書日誌 四』

大屋幸世

(2003年11月25日刊行,皓星社ISBN:4774403563



成田からアトランタへの機中で100頁ほど読み進む.2段組の細かい活字なので(もちろん図なんかあるはずがない),自然に先に進むというよりは立ち止まりつつ味わうという読書スタイルになる.ときに「蒐書と散書の繰り返しだ」という自戒的(自虐的)なモノローグが漏れ聞こえる.古書市に行っては平台から「中身を確認しないまま」“黒い本”をつかんでくるという荒技が『蒐書日誌』ではよく登場する.そういう本の買い方をしたことがないので,ぼくには何ともコメントのしようがない.

ふと思うのだが,このような『蒐書日誌』こそ〈データベース型ウェブログ〉にしてしまうといいのではないだろうか.何月何日にどこでどのような本を入手したかの記録はウェブログに合うように思う.もちろん,著者は“date”を明記しないという方針なので,いまのままでは根本的な形式の上でウェブログとは相容れないものがあるが.“date”を記さない理由はぼくにはわからない.著者は「凡例」の中で:




五〇年後,一〇〇年後に,一読書人の記録として,本になればと期していたので,年単位で読んでもらおうとして,すべて某月某日とした.(p. 2)



と著者なりの理由づけを述べている.しかし,どのようなタイムスパンで読み取るかは読者が決めればいいことであって,著者は単に「クロニクル」として,蒐書記録を書き残せばすむ話ではないだろうか.“某月某日”とあえて隠すことにより,本書の記述の具体性は大きく損なわれていると感じる.記録としての信頼性が損なわれているということだ.