『博物館の誕生:町田久成と東京帝室博物館』

関秀夫

(2005年6月21日刊行,岩波新書953,ISBN:4004309530

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【書評】

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明治初期の日本で本格的な博物館づくりを目指した町田久成の伝記.単にモノを集めればいいというのではなく,体系的・徹底的に蒐集するという町田の姿勢が印象的.江戸時代から明治時代への大きな移り変わりの中で,町田は「古物・埋蔵物・図書」という三本柱によって博物館の基礎となるモノを集め続ける.それにしても,美術品・芸術品以外の〈天産〉すなわち考古学的な遺物とか動植物の収集物が徹底的に「排除」され,「お荷物」扱いされてきた経緯には驚くばかりだ.文部省・内務省宮内庁のいずれもが〈天産〉コレクションの所蔵と管理を互いに押し付け合ったという.

江戸時代の本草学者たちが蒐集してきた膨大な標本コレクションが,明治時代になると少なくとも公的には重きを置かれなかったということだ.廃仏毀釈の運動の中で消え去ろうとしていた日本古来の美術品や芸術品の保存を唱えた点では町田久成の主張には先見の明があった.しかし,その町田にして,彼の構想した博物館からは〈天産〉のコレクションはできれば排除したかったと考えた背景はいったい何だったんだろうか.古物崇拝が江戸時代から続く日本の博物学の基本的傾向であることを考えれば,収集が必ずしも保存に結びつかなかった歴史的経緯に目を向けざるを得ない.本書ではそこまで踏み込んだ論議はなされていないのは残念なことだが.

明治期の日本で「ゼロ」から博物館を造ろうと志した町田久成の頭の中には「自然史博物館」というものの考え方はなかったようだ.おそらく,当時の日本の社会では「技芸品博覧館」以上に「自然史博物館」は“エイリアン”な発想だったのだろう.少なくとも,町田が上野の山に建造した博物館は,その後の変遷を考えると,皇室への規模の大きな「献上品」と同格だったわけだから.本書の主人公・町田久成は博物館づくりの歴史の中ではいわば「導火線」みたいなもので,彼がリタイヤさせられた後の火の着きぐあいまでは関わりをもてなかったようだ.本書を読むと,日本で実際に造られた博物館だけでなく,造られ[得]なかった博物館についても考えさせてくれる.とりわけ,現在の国立科学博物館ができるまでの「難産」ぶりは印象的だ.

江戸から明治に移行する錯綜した時代の歴史記述にときどき迷わされるが,全体としてはとてもおもしろい本だった.

三中信宏(25/August/2005)