『カラー版 ドリアン−果物の王』

塚谷裕一

(2006年10月25日刊行,中央公論新社中公新書1870], ISBN:4121018702



【書評】

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さくっと読了した.「ドリアン臭」がどこからか漂ってきそうな本.なぜって,著者自身が東南アジアでひたすらドリアンを喰いまくっているから.その旺盛な食慾は本書を埋めるおびただしい果実写真から読者にもびしびしと伝わってくる.第1章に出てくる“わんこドリアン”の逸話にいたっては,“gastronome”と賞賛すべきか,それとも“gastromanie”とあきれるべきか.



もちろん,本書は「喰う話」ばかりではない.第2章でのドリアンの発芽やその後の生育についての実験,第3章でのドリアンとその近縁群の東南アジアでの地理的分布と味覚の相互比較,そして第6章でのドリアン臭の原因となる化学物質など,ドリアンをとりまく生物学の話題がうまくまとめられている.



しかし,何よりも第4章で取り上げられている,日本の戦前戦後の「果実食文化史」がたいへんおもしろい(しかも意表をつく)テーマだ.かつて書かれたさまざまな文学作品や記録をひもときながら,著者は戦前よりも戦後の方が日本は「貧しくなった」のではないかと言う:




日本が貧しくなったのは,戦後の一時的な現象であって,それ以前の大正期から昭和初期には,さまざまな海外の品が街々に溢れていたのだった.(p. 112)



果物もその例外ではなく,バナナやマンゴーやバニラの例を挙げながら,著者は果物食文化における「文化の途絶」(p. 158)を論じる.



本書には,戦前から戦中にかけての歴史的エピソードがいくつも出てくる.中でも,植物地理学者である E. J. H. Corner が提唱した「ドリアン説」に関連して,彼の著書『思い出の昭南博物館』(1982年刊行,中公新書)への言及がある(pp. 71-73).第二次世界大戦中に日本軍によって占領されたシンガポールラッフルズ博物館をめぐる史的挿話の集成本だ.以前から,この本は買わないとな,読まないとな,と思いつつどういうわけだか,現在にいたるまでその機会がない.今度こそ手にとってみよう.



個人的な経験をいえば,ぼく自身は「生ドリアン」を食べたことがない.たまたま東南アジアのフィールド調査に行った同僚が持ち帰った「干しドリアン」や本書の第5章にも出てくる「ドリアン羊羹」を口にしたことがある程度だ.嗚呼,ドリアンを喰いたいな.※そうそう,名古屋の浅間にある喫茶店〈にしわき〉では,生ドリアンをかけた「ドリアンかき氷」(p. 170)があるそうだ.また,ナゴヤかよっ(必修? 選択?).



—— ドリアン本を“食べて”,やっと少し元気が出てきた気がする.



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三中信宏(26 November 2006)