『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』

上林好之

(1999年12月3日刊行,草思社,東京,350pp., 本体価格2,500円,ISBN:4-7942-0928-2

10年前の古い本の書評文だけど,思いついて公開.

【書評】※Copyright 2000, 2010 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved


本書は、維新間もない明治政府によってオランダから招聘された技師ヨハニス・デ・レイケが、同国のジョージ・アーノルド・エッシャー(画家M.C.エッシャーの父)ら他のオランダ人技師たちとともに、自然科学に基づく水理学を日本の河川改修に導入した経緯を明らかにした労作である。一見地味なテーマの技術史書であるにもかかわらず、歴史小説のようにおもしろい。


自らも建設省の河川担当技官だった著者は、専門的知識を背景にして、この明治初期の技術史エピソードに切り込む。著者がデ・レイケやエッシャーの生家をオランダにたずね、書簡やノートブックなどオランダ語の原資料を読み解くうちに、30年にわたって日本に滞在したデ・レイケの残した業績と時代背景がしだいに明らかにされていく。


オランダから輸入された工法(粗朶沈床法)をデ・レイケは昔から氾濫を繰り返してきた淀川や木曽川の護岸工事に適用し、治水の上で大きな成果をおさめた。デ・レイケとエッシャーが幼時を過ごしたオランダ南西部ゼーラント州は、川と海に点在する無数の島々から成る地方で、治水が生活の上で不可欠の技術だったとのこと。その一方で、この伝統的な粗朶沈床法は、同じく明治政府から雇われたイギリス人技官たちから、英国流の鉄骨やコンクリートを用いた護岸をしないことで非難され続けた。しかし、現在では、水系の保全生物学の観点から、コンクリート護岸にはない粗朶沈床法とワンド(湾処)のもつ独自効用が改めて見直されつつある(鷲谷いづみ・飯島博著『よみがえれアサザ咲く水辺:霞ケ浦からの挑戦』)。


明治初期の日本政府が欧米列強とどのように接触していったかという点も見逃せない。明治政府の科学技術の基本政策に対するオランダの影響がしだいに弱まり、代わってドイツやイギリスの力が増し、そして日本の土木技術者自身がしだいに成長していく経緯を本書で読み取ることができる。デ・レイケも自身の置かれていた立場をよくわきまえながら、内務省技術顧問として日本各地の河川と港の改修工事に関わった。本書の著者によれば、富山の常願寺川を踏査したときにデ・レイケが言ったとされる「これは川ではない、滝である」という有名な言葉は、事実とは異なるそうだ(pp. 275-279)。


木曽三川改修に挑むデ・レイケを主役とする文芸作品はすでにある(三宅雅子著『乱流』)。京都疏水の建築史をテーマとする、田村喜子著『京都インクライン物語』にもデ・レイケが登場する。本書は日本と深い関わりをもってきたデ・レイケの史実を明らかにした著作として貴重である。事項索引と人名索引が付いていれば本書の資料的価値はさらに増しただろう。


三中信宏:2000年10月4日/2010年10月16日改訂/2022年8月16日再改訂)

【目次】
はじめに 1
 1.オランダと日本の治水 15
 2.日本への旅 39
 3.はじめの大仕事 65
 4.デ・レイケ、頭角をあらわす 93
 5.母国からの愛 117
 6.妻の死と休暇帰国 153
 7.一等工師への道 193
 8.日本定住と再婚 223
 9.政府高官に昇進 257
 10.日本最後の日々 285
 11.檜舞台から天国へ 309
おわりに 337
謝辞 340
参考文献 342