『ダーウィン前夜の進化論争』

松永俊男

(2005年12月20日刊行,名古屋大学出版会,ISBN:4815805296



【書評】

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序章「一八四四年:進化論争の勃発」と第I部〈イギリスのラマルク〉は,ラマルクの進化思想がスコットランドでどのように受容されたかを考察する.関連資料がよく読み込まれているので,とても勉強になる.地質学からみた「ラマルク」への視線というのが目新しく感じられる.序章で述べられている,当時の一般読者の目から見た進化思想の解釈と受容については,終章でふたたび(現在との絡みで)取り上げられることになる.

第II部〈『痕跡』と『足跡』〉は本書の中核部分である.『創造の自然史の痕跡』(1844)の著者ロバート・チェンバーズとそれに対抗する『創造神の足跡』(1849)の著者ヒュー・ミラーについて,当時の時代背景や社会構造,文化的バックグラウンドからはじまって,チェンバーズやミラーが活躍した頃の出版界およびジャーナリズムのあり方,さらにはスコットランドの学問的な位置づけとキリスト教会との関わりなど,当時の進化論争がさまざまな“糸”によって織り込まれていたことがていねいに解きほぐされていく.なぜ彼らの著作が現在では想像もできないほどのロングセラーとなり得たのかを明らかにする,とてもよく書かれた部分だと思う.

ヒュー・ミラーの主著『旧赤色砂岩』(1841年)を取り上げて,興味深い一般的コメントが記されている:




現代の読者には,化石や地質に関する『旧赤色砂岩』の専門的で詳細な描写は,いくら名文とはいえ,うっとうしいだけだろう.ヴィクトリア朝の読者たちは,これを喜んで読んでいた.自然界の詳細な事実は,彼らの創造をかき立てる事柄の宝庫であった.それほど当時は自然史に高い関心が寄せられていた.そうした自然史ブームの中で『痕跡』の進化論が登場し,ミラーの反進化論が注目されたのである.(p. 150)



たとえば,ダーウィンの著作にしても,その多くは“ひたすら記載あるのみ”の本である.『種の起源』(1859)だって,たとえ要約とはいえ,それでも生物の詳細な記述が満載だ(元本の The Big Species Book はそれ以上).こういう本が「専門書」ではなく,あくまでも「一般向けの本」として売られそして買われたというからには,それなりの事情があったにちがいない.

折からの自然史ブームの時流に乗ったという理由のほかに,読書のスタイルそのものが現在とはちがっていたのではないかという疑念を前からもっている.ある時代にはやった文体はそれをよしとする読者がいてはじめて生き残る機会が与えられるだろう.とすると,ナチュラリスト的記載オンリーの文章,それを飲み込んだ長ったらしい文体,などという当時の書籍の特徴は,それを受容した読者がいたという事実の反映なのだろうと想像する.端的に言って,当時の平均的読書スピードは現在の平均的読者が本を読む速さと比べてはるかに遅かったのではないだろうか.単なる推測だが,そういう読書姿勢なちがいはきっとあっただろうと思う.※当時の読書量とスピードについてのデータは調べれば得られるのではないだろうか.

—— チェンバーズの著作がどのように書かれ出版されそして読まれたかについては,彼の論文集:Robert Chambers『Vestiges of the Natural History of Creation and Other Evolutionary Writings』(1994年8月15日刊行,The University of Chicago Press,ISBN:0226100731)を編んだ James A. Secord の伝記:James A. Secord『Victorian Sensation : The Extraordinary Publication, Reception, and Secret Authorship of Vestiges of the Natural History of Creation』(2001年2月1日刊行,The University of Chicago Press,ISBN:0226744108 [hbk] / ISBN:0226744116 [pbk])が今のところ“決定打”かな.

第III部〈ダーウィン前/後〉は,リチャード・オーウェン(第8章)とジョージ・マイヴァート(第9〜10章)について.ダーウィンの「影」にかすんでしまった同時代人たちに光を当てている.とくに,マイヴァートの業績を再評価しているところに注目したい.本書にかぎらず,松永さんの著作では,進化学・博物学に連なる歴史的人物の“二列目の人生”(あるいは“三列目の人生”)に光を当てることがよくある.後世にその名を残す“一列目”の主役だけではなく,“後列”に並ぶ脇役たち(しかし当時は主役と同等あるいは以上に名を売った)にもちゃんと目を向けようとする姿勢が科学史の研究では不可欠であることを読者に語りかける.

終章「さまざまな進化論」では,ダーウィン「前夜」のさまざまな進化論の一般社会の中での“読まれ方”と“受け入れ方”を考察し,それが現代社会にも通じるメッセージをもっているのではないかと著者は示唆する.たいへん教訓的で,いまの進化学に関係している,あるいは関心をもつ読者にとってはこの終章だけでも読む価値があるのではないかと考える.

日本における進化学史の特徴として,生物進化が学問研究の対象とみなされてこなかったと著者は指摘する:




生物学の専門家が進化論を研究対象にしないという姿勢は,近年まで続いてきた.なぜ,日本では,生物学の専門的な研究が進化論に結びつかなかったのだろうか.これは生物学だけの問題ではなく,日本文化の特質に由来していると思われる.生物学の特定の分野で研究を進める上で,必ずしも進化論を意識する必要はない.欧米の生物学者が進化の問題を意識するのは,キリスト教との関係が直接のきっかけになるにせよ,根本的にはものごとをトータルに体系的にとらえようという西洋的な発想によるものであろう.ことの善悪は別として,日本にはこのような発想法がない.日本の生物学者がそれぞれの専門領域で業績を残すことに集中するのは当然の成り行きであった.(p. 230)



日本人が,概念的体系ではなく,具体的個物に執着する文化的背景があったことは,西村三郎の大著『文明のなかの博物学:西欧と日本(上・下)』(1999年8月31日刊行,紀伊國屋書店ISBN:4314008504 / ISBN:4314008512書評)で博物学に関連して詳細に論じられている.

確かに,進化学研究が十分に専門化して論文を書き業績を上げることができる現在の状況を見慣れてしまうと,一昔前には上に描かれたような時代もあったのだということが想像すらできない世代もこれからは増えてくるだろう.しかし,このような進化学の学問としての専門化が進むと別の問題が表面化すると著者は警告する:




一九九九年に「日本進化学会」が設立されたことにも表れているように,現在では進化論の専門家といえる研究者が日本でも育っている.これは,自然選択説が理論的に精密になり,また,遺伝子の塩基配列が明らかにされてきたことにより,進化論でもペーパーが書けるようになったためである.その結果,専門家の進化論と,一般通念としての常識的な進化論との落差がますます大きなものになっている.(p. 231)



“進化学コミュニケーター”のような人材が今まで以上に切実に求められているのだろう.著者は,チェンバーズらの著作が社会の中で広く深く長く受け入れられたという史実を踏まえ,「進化論」をめぐる乖離についての今と昔を見渡し,次のように総括する:




現在では日本にも生物進化の専門家といえる研究者が生まれている.彼らが進化論の解説書を出すこともあるが,それが広く読まれることはない.逆に,現代生物学の成果をろくに理解していないジャーナリストの著書が驚くほどの売れ行きを示し,間違った知識を広めている.一九世紀のイギリスの状況と同じである.[・・・]現在の科学の専門家は専門家集団の中だけで活動しているので,彼らの知見が一般社会でどのように理解されているかについて,ほとんど関心を持たない.中には,非専門家の誤解にいきり立って,正しい知識を広めようとする専門家も現れるが,その努力はほとんど報われない.読者は読みたいものを読むだけなので,科学的にはいい加減でも楽しく読めて共感を呼ぶ著作に飛びつく.まっとうな啓蒙書を手に取ることはない.だからといってそれを放置しておくのも,専門家として無責任だろう.半ばあきらめながらも,ねばり強く啓蒙活動を続けるほかはないのだろう.(p. 232)



シシュフォスの苦役か,はたまた賽の河原の石積みか —— “関係者”のみなさんは覚悟しましょうね.

同じ著者による『ダーウィンの時代:科学と宗教』(1996年11月20日刊行,名古屋大学出版会,ISBN:481580303X書評・目次)の続編に位置づけられる本書は,前著と同じく進化生物学史の力作だ.前著は石川九揚の表紙デザインだったが,本書のカバージャケットも“工作舎”っぽくてなかなかいい感じだ.近年,数々の話題作を出し続けている名古屋大学出版会だが,内容だけでなく,装幀でも抜きん出ているということか.

目次

三中信宏(28/January/2006)