『「進化」大全 − ダーウィン思想:史上最大の科学革命』

カール・ジンマー[渡辺政隆訳]

(2004年11月25日刊行,光文社,東京,493 pp.,本体価格6,000円,ISBN:4334961738目次版元ページ

【書評】※Copyright 2005, 2012 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



現代の進化生物学は,その最先端の深まりと裾野の広がりのいずれをとっても,かつて経験したことのない段階に進みつつある.ヒトをも含む生きものの「すべて」を生物進化の観点から説明しようとする進化学は,おのずからさまざまな学問領域をまたぎ,分子生物学保全生物学など最先端の成果を貪欲に吸収してさらに成長する.学問的な意義はもちろん,進化的思考が社会・文化・倫理・宗教など広く一般に及ぼす影響力を考えたとき,「進化」という思考体系の全体をいまいちど見渡してみたいという意欲がふつふつと湧いてくる.しかし,その期待を十分に満たしてくれる著作,それも専門家だけでなく一般読者も手を伸ばせるような本は実はほとんどない.



成熟しつつある学問領域である進化生物学の業界では,すでに多くの入門的教科書が出ている.しかし,進化学のまとまった教科書は,いずれも電話帳のようなボリュームの中にきわめて多くの内容が詰め込まれており,それなりの覚悟のある読者にしか門戸を開いていないようだ.進化学の研究者の多くは専門とする限られた分野には通じていても,必ずしも全体像を語る力量を持ち合わせているわけではない.一方,進化学の“啓蒙書”とされる本の多くは,進化学者が期待するほどの平均的レベルに達していない.それを考えると,広大な現代進化学の世界をパノラマのように見渡し,しかも今まさに動いている研究現場の興奮を読者に体感させるというのは実はとても困難なミッションであることに気づかされる.進化学の「知」の伝道(あるいはアウトリーチ)を真剣に目指すことはだれにでも気軽にできることではない.進化に関心をもつサイエンス・ライターが求められるゆえんである.



あえて『「進化」大全』という挑戦的なタイトルを銘打たれた本書は,その無理難題をみごとにクリアした本にちがいない.おそらく本書を手にした読者のほとんどは,この500ページを越すフルカラー本であること,そしてその大きさと重さ,最後にその価格に驚くのではないか.しかし,このような体裁と内容の本を現在の厳しい出版事情のもとであえて出したことに対して私はむしろびっくりした.しかも,進化学の歴史から最先端の研究成果にいたるまで,読者を飽きさせない話題の置き方と話のみごとな展開は,本書がたぐいまれな〈読める教科書〉であることを印象づける.同時に,そのビジュアル性は本書が生物進化についての大きなテレビ特集番組をふまえていることを納得させる.



本書の構成は次の通りである:第1部「緩慢な勝利」では,進化思想の系譜をチャールズ・ダーウィンにまでさかのぼる科学史を論じる.続く第2部「創造と破壊」は生物の系統発生の歴史を概観する.第3部「進化のダンス」は,現代進化学の中でもっともホットな話題である共進化,進化医学,そして性の進化をとりあげる.最後の第4部は人間の進化が中心テーマである.



これだけの内容をわずらわしい脚注をいっさい含まずに一気に語れるのは,著者がすぐれたサイエンス・ライターである証だ.もちろん訳文で悩まされることなどあり得ない.伝統的な縦書き二段組に組まれた本文は,随所にちりばめられた美しい図版とともに,幸せな読後感を保証してくれるだろう.力量のあるサイエンス・ライター,有能な翻訳者,そして出版を決断した版元という三点セットがみごとにそろった果実が本書なのだと思う.凡百な“啓蒙書”を何冊も買う金銭的・時間的余裕があるのならば,迷わず本書を手に取ろう.現代進化学のおもしろさはここに詰まっている.



本書の原書は:Carl Zimmer 2001. Evolution: The Triumph of an Idea. Harper, ISBN:0060199067版元ページ



三中信宏(2005年2月14日/2012年5月28日加筆)







本原稿の改訂版「縦書きで読む現代進化学の大パノラマ」は,日経サイエンス2005年4月号(p. 119)に掲載された.