『Ernst Haeckels Bluts= und Geistes=Erbe : Eine Kulturbiologische Monographie』

Heinz Brücher

(1936年刊行,J. F. Lehmann, München,1 plate + ii + 188 pp.[Anfang: 1 Text und 1 Bildertafel]→目次

この本の背景についてさらに —— この本に巻頭言を寄せたチューリンゲン人種制度局長 Karl Astel は実は「かなり中核的な人物」であることが浮かび上がってきた.この人物に比べれば,著者の Heinz Brücher などただのマリオネットみたいにさえ見えてしまう.系図学史の中でももっとも“黒い部分”が見えてくる.

Brücher は,本書全体の方法論的な基盤が,Karl Astel の提唱する血縁探究法にあることを明言する:


今日,系譜生物学的(erbbiologisch)な血縁探究(Sippenforschung)は,もっぱら Karl Astel の提唱する「血縁探究法(Sippschaftsmethode)」の上に築かれている.Astel こそは,人種生物学的(rassenbiologisch)な家系学(Familienkunde)を構築し,彼のおかげで家系研究はより包括的なレベルに引き上げられたのである.その結果,直系先祖だけが記されていた旧来の先祖表(Ahnentafel)が修正されて,傍系先祖(Seitenverwandten)がそこに付け加えられることになった.(S. 12)

Karl Astel の血縁研究は「血縁表(Sippenschaftstafel)」として表示される(S. 13).本書に添付されている,ヘッケル一族の巨大な血縁表は Astel 理論の成果にほかならないということだ.

これだけであれば,かつてのドイツに花開いた血縁研究史のエピソードのひとつに過ぎないのかもしれない.しかし,まったく同じ登場人物たちは別の劇にも顔を出す.当時のドイツの状況を知るために,Anne Harrington『Reenchanted Science : Holism i German Culture From Wilhelm II to Hitler』(1996年刊行,Princeton Univeristy Press,ISBN:0-691-02142-2 [hbk])をひもとくと,次のような記述が見える:


ナチ時代の初期から,科学者たちの中にはナチス党に関わりをもつグループが大きく二つあった.第一のグループは,あるイデオロギーを帯びた科学者集団であり,彼らは全体論的思考に同調しつつ,民族主義的な反ユダヤ主義アーリア人種至上主義を信奉した.…[中略]… 第二のグループは,よりプラグマティックな医学者の集団であり,彼らはより厳密なメンデル遺伝学,ダーウィニズム,そして人種生物学をもってナチの社会政策や軍事戦略の基盤とすべきであると主張した.この第二のグループの活動を支えていたのは Heinrich Himmler の率いる SS[=ナチス親衛隊]だった.このグループを構成したのは,人類遺伝学者の Karl Astel ,そしてイェナで彼の助手をつとめた Lothar Stengel von Rutkowski,植物学者の Heinz Brücher,そして法学および人種学教授の Falk Ruttke だった.…[中略]… Astel は1935年に Himmler に対して,民族衛生学の大学ポストは SS 構成員が占有すべきであると進言した.1939年にイェナ大学の指導的地位に就いた Astel は,その後,イェナ大学を SS の教育と政策立案のための中心地に変えるべく精力を傾注した.(p. 195)

要するに,とても“大もの”だったわけね,Astel って.ドイツ語版ウィキペディアの「Karl Astel」の項目には詳細な情報が載っていて,Astel は第三帝国が崩壊した1945年に執務室で自殺したと書かれている.一方,「Heinz Brücher」の生涯(1915〜1991)は戦後も長く続いた.しかし,弱冠21歳のときの本書『Ernst Haeckels Bluts= und Geistes=Erbe : Eine Kulturbiologische Monographie』が,結局 Brücher にとっての唯一の著書だったようだ.

[付記]ヨーロッパのいくつかの王家の血統については,従来的な意味での Ahnentafel が描かれてきた.しかし,画家フリーダ・カーロが絵にした自らの家系図も,見直してみれば,一種の Ahnentafel であるように読み取れる.カーロのルーツはヨーロッパ(ハンガリー)なので,この点は何となく納得できる.