『書物について:その形而下学と形而上学』

清水徹

(2001年7月25日刊行,岩波書店ISBN:4000233599



“もの”としての本の話.歩き読みの友として.シュレーゲル兄弟やノヴァーリスたちが集った17世紀末「イエナ・ロマン派」についての章(第2章「近代性と書物」の中の節:〈書物〉と文学的絶対)がおもしろい.「ロマン主義的」という意味で「romantisch」という形容詞を用いたのはフリードリッヒ・シュレーゲルだそうだ(p. 140).この章の後半では,フランスのかつての「書痴」たちのエピソードが綴られる.第3章「マラルメと〈書物〉」(pp. 213〜).マラルメの“形而上”と“形而下”への同時的こだわりが印象的.最終章は現代にもつながる書物論になっている.最後の第4章「バベルのあと」(pp. 291〜)から数カ所を抜き書き:




  • 書物とは読めさえすればどんな品質でもどんな形態でもいいのかという問題が提起されてくる.(p. 329)
  • ある作品を上質の紙のページのうえで,みごとに割付られた鮮明な活字印刷で読むことと,粗悪な紙質のうえのぼけた印刷で読むことと,文庫本の小さな活字で読むこととは,断じて同じではない.(p. 348)
  • 書物における〈紙〉は,…[中略]…ただたんに活字を載せる支えとしてではなく,活字と一体化しながらそれ自体から「主題」を放射してくる「基底材」としてある.(p. 350)
  • 〈電子的書物〉は〈基底材〉をもたない.(p. 352)
  • 〈基底材〉をもたないことへの「真空恐怖」.(p. 353)