『東アジアの本草と博物学の世界(上)』

山田慶兒(編)

(1995年7月21日初版刊行/2007年10月5日復刊第2刷,思文閣出版,京都,x+333+xix+2 pp.,本体価格7,500円,ISBN:4-7842-0883-6[初版]/ISBN:978-4-7842-0883-8[復刊]→ 目次版元ページ

山田慶兒「本草における分類の思想」(pp. 3-42)を読む.いくつか興味深いキーワードが登場するので,下記に備忘メモ:


「世界分類」

世界には本来的な秩序がそなわっている.[……]分類はその秩序をできるだけ正確に表現するものでなければならない.いいかえれば,分類の原理は存在の原理でなければならない.このような存在論の優越こそ,古代人の思考を特徴づけるものだった.ことわっておくが,自然科学者の思考の根底にも根強く存在論すなわち形而上学が横たわっている.[……]古代中国人にとっては,分類を生物に限る理由はどこにもなかった.自然と人間と社会を貫いて同じ秩序原理がはたらいており,したがって人間や社会も自然と同じ空間に位置づけらるべきであった.その空間とはいうまでもなく世界にある.こうして世界像としての分類が生まれる.ここではそれを世界分類と呼んでおこう.(pp. 4-5)

本論考では,過去二千年にわたる中国の百科全書類における「世界分類」のあり方を概観している.登場するのは,『爾雅』(漢代)・『藝文類聚』(624)・『太平御覧』(984)・『本草綱目』(1593)などの中国の百科全書あるいは本草学書だ.著者は,これらの文献に見られる中国の普遍的な「世界分類」のいわば“部分空間”として動植物と鉱物の分類体系が成立したとみなし,「共世界分類」という用語を提示する:


「共世界分類」

この分類が,中国の伝統的知識人にとって結局は通時的なシステムとなった.世界分類の一部を成す動植鉱物の分類である.言外に世界分類を共有しているという意味で,それを共世界分類と名づけておこう.共世界分類は梁の陶弘景によってはじめて本草に適用された.いうまでもないが,共世界分類は一種の自然分類であった.(p. 12)

共世界分類は一種の自然分類であり,本草の分類はその適用である,とわたしは述べた.ここで,自然分類とは,自然的存在が織りなす秩序にもとづく分類,という意味である.一応はそう言ってよい.だが,事柄はあくまで人間の認識にかかわり,それほど単純ではない.(p. 15)

なぜ「単純ではない」のか.それは,自然分類を標榜しつつ,実は人間にとっての有用性という実用分類の視点がつねにあったからだと著者は指摘する.


要するに,類書にあっては視点がつねに人間の生に置かれているのだ.自然分類からの偏れはどうしてもそのぶんだけ大きくなる.(p. 18)

その結果,日本の本草学にも大きな影響を与えた李時珍『本草綱目』では,大綱は自然分類としての共世界分類に従ってはいるのだが,細目にいたると実用分類に一転すると著者は言う.複合的な分類基準が実際には採用されていたということだ.


共世界分類と三品分類[上位群を「上・中・下」に三分するという『神農本草経』以来の分類法]から共世界分類と実用分類へという複合分類の移行は,換言すれば,静的な秩序から動的な無秩序への世界像の内実の変容にほかならず,知的世界の全般的な変容にみごとに照応していた.『本草綱目』の分類はとうぜんにもただちに本草界に迎えられ,ながく権威として君臨し,こんどは逆に本草家の思考を縛ってゆくことになる.(p. 23)

このような,中国の世界分類が日本に輸入されたときの大きな改変として,普遍的な世界分類を「フィルター」(pp. 32)で濾過してしまい,“部分空間”としての動植鉱物に関する共世界分類のみを取り込んだと著者は指摘する.源順の『倭名類聚鈔』はその好例だという.このようなフィルターが作用した結果:


中国の世界分類と対決することなく,その部分たる共世界分類を自然分類として受けいれたことにあるのだろう.そのような受容の形態にあっては,自然分類の存在論的基礎はついに明らかでないのである.(p. 33-34)

貝原益軒大和本草』(1708)や三浦梅園『玄語』(1775)に萌芽的に見られる日本独自の自然哲学・形而上学はけっきょく全面開花するにはいたらなかった.そうこうするうちにスウェーデンからリンネの体系学的方法が極東にも押し寄せ,日本の本草学は消滅したと著者は締めくくる.

—— 西村三郎の考えとも共鳴する主張であるように思えるが,Brian W. Ogilvie『The Science of Describing : Natural History in Renaissance Europe』(2006年6月1日刊行, The University of Chicago Press, ISBN:0226620875 [hbk] → 詳細目次著者サイト版元ページ)が提唱する,西洋の博物学における「記載の科学」から「体系の科学」への移行というモデルが,東洋の本草学にもあてはまるのかどうかがおもしろい点だろう.(おそらくは肯定的な結論になると推測されるが.)