『チーズ:その伝統と背景』

泉 圭一郎

(2002年1月31日刊行,サイエンティスト社,東京,viii+450 pp.,ISBN:4914903881

文化の産物としてのチーズをめぐって



本書は私にとって予期しない収穫だった.カラフルなチーズ図鑑が人気を博している中で,一見地味な本書の価値は,読んだ後ではじめて明らかになる.



チーズのプロである著者は,ヨーロッパ各地の伝統的なチーズ製法を実地に訪ね歩き,フレッシュ,白カビ,ウォッシュ,硬質などタイプ別にチーズの製造工程について,その歴史的背景をたどりながら綴っていく.チーズにまつわるさまざまな俗説を次々と打ち払いながら,「乳が凝固する」というしごく単純な現象の背後に潜む,微生物のさまざまな働き,乳成分の精妙な化学反応,そして各地のチーズ生産の「場」の地理的・文化的・政治的な事情にまで切り込んでいるのが本書の持ち味である.



いくつか例を挙げよう:日本の「豆腐」にたとえられるデリケートな「ブリー」が市場に出まわれたのは,パリ近郊という生産地の地理的条件が備わっていたからだという指摘(pp.49-50),「マンステール」の呼び名ひとつにもアルザス地方の複雑な政治・文化の歴史が反映されているという言及(pp.114-115),プロヴァンス語を共有するスイス・フランス・イタリアの地域での共通のチーズ技法の伝承(p.198)など,本書の随所で明らかになる事実は,「“チーズ”なるものが産地に固有の文化とふかく結びついた産物」(p.197)であることを示している.チーズに対する見方が根底から変わってしまう自分が体感できた.



著者の長年にわたるチーズ研究者としての該博な知識に裏打ちされた本書は,最近まれなクロス装丁の手ざわりならびに450ページで2,400円という破格の価格とともに,多くの読者に恵まれることを期待したい.もちろん,ナチュラル・チーズのファンにとっては必読書である.くり返し味わいたくなる本だ.今なお売れ続けている文藝春秋『["チーズ図鑑","http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?aid=&bibid=00968189"]』とその新書改訂版『["チーズ図鑑","http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?aid=&bibid=02050873"]』を傍らに置いて対応させながら読むと,本書の奥深さがさらに実感できるだろう.



欲を言うと,チーズ名索引だけでなく,専門用語を整理した事項索引があれば,もっと使いやすくなったと思う.



三中信宏(2002年3月12日)

【目次】
はしがき i
第1章:フレッシュ・チーズ 1
第2章:軟らかめの,表皮が白カビのチーズ 47
第3章:軟らかめの,表皮を洗うチーズ 79
第4章:半硬質チーズ 119
第5章:硬質チーズ 225
第6章:超硬質チーズ 311
第7章:ブルー・チーズ 337
第8章:ヤギ乳のチーズ 417
あとがき 445
索引 447