『悪い娘の悪戯』書評

マリオ・バルガス=リョサ[八重樫克彦・八重樫由貴子訳]
(2012年1月5日刊行,作品社,東京,426 pp., 本体価格2,800円, ISBN:9784861823619版元ページ

【書評】※Copyright 2012 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

¿Todavía estás enamorado de mí, niño bueno?

物語は1950年のペルーの首都リマの夏から始まり,1960年代のキューバ革命の地鳴りが響くパリのカルチエ・ラタンへと続く.まだ,冒頭なのにすでに全力疾走している.主人公 niño bueno ことリカルドと付き合う niña mala ことリリーの正体はまだ見えてこない.その後,舞台はパリを経て,ロンドンへ,そして東京へと大きく場面を変える.転機は極東の東京で訪れ,その真相は長大なパリ再来の章で明らかになる.跡を濁しまくってはリカルドの前から忽然と姿を消し,またいきなり現れるリリーはしばしの間だけリカルドのもとに身を寄せるが,結末はまたしても同じ.続く二度目のリマの章で出生の秘密を知ったリカルド.40年の長きにわたって絡みあった「良き男(niño bueno)」と「悪き女(niña mala)」の愛憎物語は,マドリッドで綴られる最終章をもって 余韻を残しつつその幕がおりる.

 

幾度となく煮え湯を飲まされても niño bueno がけっきょくは niña mala なしには生きられなかったことを考えるなら,このふたりの主人公は他の誰も立ち入ることのできない「共依存」の世界をつくっていたのだろう.それとともに,最後まで読み通すと,niña mala のイリーガルにして破天荒な(というか自滅的な)ふるまいは確かに目立つが,本書の主人公はやっぱり堅実なオモテの人生を歩んだ niño bueno だと納得した.

 

訳本のカバージャケットは niña mala の悪女(femme fatale なイメージ)を強調した図柄だが,原書:Mario Vargas Llosa『Travesuras de la niña mala』(2006年刊行,Santillana Ediciones Generales, Madrid, 375 pp., ISBN:9707704667 [pbk] → 版元ページ)はカフェのオープンテラスで文章を綴る niño bueno をあしらっていてとても味わいがある.原書の出版直後,メキシコシティーベニート・フアレス国際空港の書店でたまたま見かけて“ジャケ買い”をした理由もそこにある.

 

ふたりの主人公の関係は,まさにサントメールのランベール(Lambert de Saint-Omer)が『Liber Floridus(花の書)』(12世紀)に描いた美徳の樹(arbor bona)と悪徳の樹(arbor mala)の対を髣髴とさせる(→ 図版).美徳の樹は青々と葉が茂り花が開いて実を結ぶ.一方,悪徳の樹はその根に斧を深々と打ち込まれ醜く枯れ果てる.それでもなお,その根を絡みあわせた善と悪の樹が互いに相手をつかみながら正反対の向きに変貌していくように,ふたりの主人公 niño bueno と niña mala は彼らの人生航路を重ねていく.

 

ふだん小説を読むことはまずないのだが,本書は例外にして別格だった.「¿Cuál es el verdadero rostro del amor?」と問われたならば「Todo está permitido」と答えるしかない.

 

三中信宏(2012年1月4日|2019年6月30日修正)