『「蓋然性」の探求:古代の推論術から確率論の誕生まで』6〜7章

ジェームズ・フランクリン[南條郁子訳]
(2018年5月15日刊行,みすず書房,東京, viii+609+88 pp., 本体価格6,300円, ISBN:9784622086871目次版元ページ

続く第6章「ハードサイエンス」と第7章「ソフトサイエンスと歴史学」では,蓋然性が相異なるふたつの文脈の中でどのように理解され議論されてきたかを対比する.まず,第6章「ハードサイエンス」では天文学史を振り返り,観測と理論との関係を蓋然性の観点から考察する.包括的理論によって万物を説明してしまおうとする姿勢を一方の極とすると,天文学がたどってきた歴史はより確率論的なもう一つの極に軸足を置いた.


「スペクトルのもう一端では,理論が観測に細かく目を配る.つまり一連の測定結果に公式や曲線をフィットさせることがおこなわれ,確率論的な方法を定式化する余地がある.とくに天文学では,測定結果はランダム誤差を免れない.近代統計学の出発点は,いくつかのデータ点からの彗星の軌道を予測するために,最小二乗法を適用したことだった.近代〔統計学〕の方法は,本質的には,複数の不正確な測定結果を平均することによって,疑わしい測定結果をより正確にすることができる,という古来のアイデアを洗練したものである」(p. 215)



この第6章では,アリストテレスプトレマイオスに始まり,オレーム,コペルニクスケプラーガリレオにいたる天文学の歴史の中で,蓋然性がどのように取り扱われてきたかが論じられるとともに,最善の説明への推論・オッカムの剃刀・モデルの相対的比較など重要な論点が登場する.



続く第7章「ソフトサイエンスと歴史学」では,厳密な天文学に対して “下位科学” に位置づけられる生物学や歴史学に光を当てる.これらの非演繹的科学のように「結論が演繹的に証明できない場合には,「同じ方向を指し示す」しるしをより多く集めることはやはり価値があるだろう」(p. 262).本章で取り上げられる人相学・薬草学・医学・占星術では,観測データからどのように推論を行うかに関してそれぞれの流儀があった.抽出されたサンプルに基づく母集団に関する推論は12世紀のユダヤ法(タルムード)において詳細に議論された(pp. 276-281).歴史学に目を向けると,確率統計的思考のルーツはかの歴史家トゥキディデスにまで遡れると著者は指摘している(p. 282).そして,10世紀の哲学者アヴィケンナは歴史学を含む “下位科学” における推論が,天文学には見られない,対象物のもつ大きな変異性に影響されると見抜いた(pp. 285-289).


「下位科学では,少なくとも,より多くの証拠を集めることによって,仮説を補強したり,逆にその基盤を弱らせたりすることができる.これに対して歴史編纂は,それがめったにできないという独特の難しさを抱えている.なぜできないかというと,過去に起こった特定の問題を論じるための証拠の総体がほとんど変わらないからだ」(p. 289)



ソフトサイエンス( “下位科学” )ならびにさらに “下位” に位置する歴史学は,蓋然性の問題とまともに取り組む必然性があった.



第7章後半部では,文書の真贋をめぐる蓋然性の論議に中世人文主義者たちが大挙して登場する.ある文書が本物かそれとも偽物か,あまたの異本群の中から “もっとも真実に近い” 文書を発見するにはどうすればいいのか,という問題は,“下位科学” よりも下の歴史学のさらに下に位置づけられる文書校訂(本文批判)が取り組まねばならない蓋然性の問題だった.この文書校訂に関わった中世人文主義者として,本章ではロレンツォ・ヴァッラ,アンジェロ・ポリツァーノ,そしてヨセフス・スカリゲルが大活躍する.



参考文献として引用されている:アンソニー・グラフトン[ヒロ・ヒライ監訳・解題/福西亮輔訳]『テクストの擁護者たち:近代ヨーロッパにおける人文学の誕生

アンソニー・グラフトン[ヒロ・ヒライ監訳・解題/福西亮輔訳]

(2015年8月25日刊行,勁草書房bibliotheca hermetica 叢書],東京, viii+470+xli pp., 本体価格7,500円, ISBN:9784326148288目次版元ページ)をこの機会にもう一度ひもとくしかない.