『「蓋然性」の探求:古代の推論術から確率論の誕生まで』10〜11章

ジェームズ・フランクリン[南條郁子訳]
(2018年5月15日刊行,みすず書房,東京, viii+609+88 pp., 本体価格6,300円, ISBN:9784622086871目次版元ページ

確率論が “賭け事” というきわめて現世的・実業的な営為の中から生まれたとする俗説にしたがえば,第10章「射倖契約 —— 保険、年金、賭博」は内容的にぴったりかもしれない.しかし,いたるところにローマ法の『学説彙纂』への言及があるところをみると,賭け事や保険のようなリスク管理はもっと古いルーツがあることを思い起こさせる.

続く第11章「サイコロ」は,大昔からの “蓋然性” 概念が近代的な “確率” へと衣替えする契機が何であったかに目を向ける.

「対称な物体を投げて賭け事をするという,元来周辺的で,いかがわしくさえあるこの裏道には,特別な自慢の種がある.これは蓋然性のうちで真っ先に数学化された部分なのだ.」(p. 460)

ここまでの章では,一貫して古代法学や道徳神学での蓋然性あるいは証拠に基づく推論が主たる論点だったのに対して,他方では賭博のような俗世間的な “偶然ゲーム” がなぜ注目を集めることになったかにフランクリンは着目する.著者はその理由はこの偶然ゲームが決着したとき,掛け金をどのように “公平” に分配すればいいのかという法的ならびに道徳的な問題が浮上したからだと推測する(pp. 460-461).

ブレーズ・パスカルとピエール・ド・フェルマーが1654年に交わした往復書簡は,ハッキング『確率の出現』の冒頭にも登場するように,近代確率論の開幕を宣言する歴史的なできごととされている.パスカルフェルマーが数学的に議論した「ポイント問題」と「サイコロ問題」(p. 482)の背景には,掛け金の分配に関する “公平性” を担保しようとする使命があったとフランクリンは言う(p. 488).

『「蓋然性」の探求』では,単に確率(蓋然性)の数学化された部分にとどまらず,その背後に広がる数学化されなかった部分にも目配りをする視野の広さを特長とする.歴史の薄暗がりに忘れ去られた,必ずしも姿かたちが明瞭ではないものたちに光を当てるという本書の姿勢は全編を通してはっきりわかる.