ジェームズ・フランクリン[南條郁子訳]
(2018年5月15日刊行,みすず書房,東京, viii+609+88 pp., 本体価格6,300円, ISBN:9784622086871 → 目次|版元ページ)
本書の中心テーマである「蓋然性」に対する “宿敵” があるとしたら,それは事物や言動の「確実性(絶対性)」を要求する立場だろう.著者フランクリンは,第8章「哲学 —— 行為と帰納」の冒頭で,哲学と宗教こそ蓋然性の宿敵だったと指摘する:
「哲学と宗教は蓋然性の宿敵である.昔から哲学者たちは,確実性を掲げることによって,単なるレトリック製造人たちとの間に一線を画そうとしてきた.パルメニデスは,真理(これは「存在」と結びついている)と,人間の意見(こちらは「本当らしい」といわれ,「非存在」と結びついている)とを峻別した.パルメニデス,プラトン,アリストテレス,およびその後継者たちにとって,論理的推論とは,いかなる疑いも容れない知識の基礎を固めるためのものだった.いきおい,本当らしさは彼らが考察すべきものではないとして追放された.」(p. 312)
絶対的な真理と可謬的な本当らしさをはっきり区別した上で,真理のみを最重要視する態度は哲学でも宗教でも変わりがなかったと著者は言う.この章では,古代ギリシャ以降の哲学を振り返ることにより,たとえ少数派であっても蓋然性の論議がどのような経緯をたどったのかを考察する.帰納の可謬性や大数の法則などは中世神学者のトマス・アクィナスやスコトゥスあるいはオッカムの思想の中に見出すことができるという.この流れの末端に近代確率論の祖と一般に言われるブレーズ・パスカル(pp. 360 ff.)が登場する.