『東京焼盡』再読(第42〜56章)

内田百閒
(1955年4月20日刊行,大日本雄辯會講談社,東京, 261 pp.)

大戦末期になってくるともう何が何やらわからなくなってくる。連日の空襲警報、酒・煙草はもちろんのこと、配給米も滞り、罐詰泥棒の嫌疑まで降りかかる。百鬼園先生にとっては苦労の日々が続く。

日常生活の窮乏はとどまることを知らない:「巣鴨の囚人の方が御馳走を食べてゐると云ふ事を初めはたとえの様に云ってゐたが、いつの間にかそれが本當になり當然となり當り前の話になつてしまつた」(第54章, p. 240)。

世間の相互監視の目も日に日に厳しくなる。白っぽい夏服は米軍戦闘機の標的になるから着るなというお達しを無視して、百閒は夏服を着る。 “他人の目” への気兼ねすることが「どれ丈日本人を意氣地無しにしたか解らない」(第53章, p. 236)と書く。

そして迎える敗戦の日詔勅を聴きながら「熱涙滂沱として止まず。どう云ふ涙かと云ふ事を自分で考える事が出來ない」(第56章, p. 249)と言いつつも、「新らしい日本の芽が新らしく出て來るに違ひない」(同, p. 254)と早くも “戦後” を見据える。『東京焼盡』はここで終わる。

—— 以上をもって再読終わり。