『東京焼盡』再読(第27〜41章)

内田百閒
(1955年4月20日刊行,大日本雄辯會講談社,東京, 261 pp.)

寝読みはまだ続いている —— 1945年3月下旬以降は、米軍に陥落したばかりの硫黄島から襲来するB29やP51の編隊による本土空襲の記録ががぜん増えてくる。東京だけでなく日本各地が空襲被災していると百閒は記している。

百閒ですら “生活者の日常” と “戦時下の非日常” がしだいに切り分けられなくなってくる。一方では、「急に頭の上で爆弾の落下音を聞いた。……土手の向うの四谷のつい近くから黒けむりが立ち騰った。實に恐ろしい物凄い景色であった。……何だか解らぬが、いろんな物が飛び散ってゐた様であって、人の腕や首もあったかも知れない」(第28章, p. 87)と酸鼻きわまりない光景を記した直後に、嘱託先の日本郵船で砂糖をもらい、値上げ前の切手をあわてて買って、配給の焼酎に舌鼓を打つ。この落差。

「機體や翼の裏側が下で燃えている町の燄の色をうつし赤く染まつて、ゐもりの腹の様である。もういけないと思ひながら見守ってゐるこちらの眞上にかぶさって來て頭の上を飛びすぎる」(同上)と戦火から逃げ惑いながらも実によく観察している。自宅が燃え落ちて、三畳一間の仮小屋暮らしになっても、「満更惡い氣持でもない」(第39章, p.153)と強気な百閒。「外に行く所もないし、かうして坐って見ると落ち着いた氣持がする、この小屋が氣に入ったから安住したい」(同 p.154)—— ひょっとしてこの人はとんでもないオプティミストなのか。