『古代の朱』松田壽男

(2005年1月10日刊行,ちくま学芸文庫ISBN:4480089004



【書評】

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地味〜なタイトルからはまったく想像できないほど,とてもおもしろくて刺激的な内容の本.もっとも頁数の多い「古代の朱」に加えて論考「即身仏の秘密」と自伝的エッセイ「学問と私」から成る.

全体を貫くテーマは日本における水銀の歴史学的・民俗技術史的な考察だ.しかし,あえて目立つサブタイトルをつけるとしたら,〈水銀・即身仏紀州蜜柑〉となるだろうか.著者は,日本で水銀の製錬技術が発達した背景には,日本という国がもともと水銀鉱脈の上に位置していて,いたるところに水銀鉱があるという自然地理的特性を指摘する.そして,地名や神社名などの歴史地理的な情報源を手がかりに,水銀(のもとになる辰砂)という金属がいかに日本の社会や文化に浸透していったかをたどる.

その際,著者の研究スタイルを際立たせているのが金属学の専門家との研究協力という点で,日本各地の水銀鉱山(「丹生」という地名が目印とのこと)を訪ね歩いて得た資料の水銀含量を測定しながら,歴史伝承の背後にある事実に肉薄しようとする.

たとえば高温湿潤な日本の気候条件の下でなぜ〈即身仏〉という〈ミイラ〉が存在し得たのかという疑問に対して,水銀が隠れた要因として挙げられるだろうと推測する.即身仏が多く見られる紀州高野山と出羽・湯殿山はともに水銀鉱脈の上にあり,辰砂を産出するだけでなく,高濃度の水銀が土壌中に存在していると言う.そして,即身仏の防腐技術として水銀塗布がなされると同時に,即身仏を志願した僧侶がその地でとれた水銀を多量に含む作物や穀物を入定前に摂取することにより積極的に体内の水銀濃度を高めたのではないかという仮説を,実際の即身仏の体内でミイラ化したネズミの体内水銀濃度を測定することにより検証した.こういう歴史学の研究もあり得るのかという新鮮な驚きを読者はもつだろう.

さらにエピソード的ながら,「なぜ紀州蜜柑はおいしいのか」という疑問に対しては,紀州の土壌には水銀が多量に含まれているから甘みが増すのだという,現代の消費者が聞いたらどきっとするような指摘も書かれている(微量の水銀は甘くて薬としても用いられていたのだが).本書のもとになったのは『丹生の研究』という大著だそうだ.機会があったら,その本もぜひ見てみたい.

三中信宏(11/February/2005)