『蒐書日誌 四』

大屋幸世

(2003年11月25日刊行,皓星社ISBN:4774403563



アトランタのホテルにて未明に読了.ヒットしたポイントを列挙:


  • [p. 116]〈荒俣宏の本を見ていると,掲載されている資料,どこから蒐めているのか不思議に思う〉※荒俣宏『大東亜科学綺譚』/[p. 332]〈荒俣宏,いつこれだけの資料を蒐めたのかと思う程,挿絵,写真がおもしろい.いつの間にか,私も荒俣宏ファンになってしまった.澁澤龍彦から乗り換えたようだ.〉※荒俣宏『悪趣味の復権のために バッドテイスト』

  • [p. 121]〈たとえば小泉丹は「発見と発達とは全て違ふ.自然科学の方で,どうも日本の傾向で発見といふことを重んずるのだな.さうして,あまり学問の発展といふことの価値を認めないのだな …… 発見発見といふことに依って根は太くはならん.学問の発展,発展と一つの事ばかりやる縁の下の力持といふやうな学問がなければ根は太くならない.今のやうに発見,発見といふ方に許り向いていったのではそれは太くならんですな.其処は日本人の自然科学の態度に欠点があると思ふ」といった調子で,日本批判がどうどうとまかり通っているのである.〉※『改造』1942年8月号座談会「国家と科学」に関連して.

  • [p. 152]〈私はこの,藝術至上主義ならぬ《結核》至上主義がいやなのだ.俳句での肺患は自己を結核に固定させてしまう.視野が肺患に集中し,《外部》の景が從となってしまっている.肺患を特化しすぎる点に私は耐えられない.〉※石田波郷『胸形変』

  • [p. 204]〈目玉でもあったはずの雨田光平伝は,結局今日の最後の読書になってしまった.〉※雨田光示『竪琴の調べ:父・雨田光平について』

  • [p. 218]〈ずいぶん以前,井之頭線駒場東大駅前の《満留賀》で大盛を注文したら,その盛りの大きさにびっくりしたものだ.それはともかく《薮》や《砂場》などはその出自ははっきりしているが,よく見る《満留賀》というのはどういう系統なのだろうか.〉※吉村正治『日本のそばとうどん 写しある記』

  • [p. 256]〈まだ時間が充分にあるので,椎名誠全日本食えばわかる図鑑』を読む.…… 時代の食生活の《語り部》的表層の叙述で徹底している.漫画家の東海林さだおにもこの手の喰い物談義の文庫本があるが,こちらは料理そのものを底まで喰いつくそうとする心魂があるが,椎名の方は何か貧しい.いや貧しいことを批判しているのではない.私にしろ,椎名,東海林にしろ同一世代,あの戦後の飢餓状態を知っている者たちだ.…… いずれにしろこれらの書は,五〇年,一〇〇年経てば,いい時代表現の書となるのは間違いない.〉

  • [p. 328]〈現在,フェミニズムの大家となった上野千鶴子と席を同じくしている.その上野千鶴子(俳句時代は上野ちづ子)論である「上野千鶴子,あるいは跡を濁して飛び去った鳥について」は,「あるいは」以後の言葉が示しているように,一種の批判である.〉※江里昭彦『俳句前線世紀末ガイダンス』


?? こうやって“付箋”を付けておかないと,さらさらと流れ去ってしまう.