『讀書游心』

富士川英郎

(1989年6月20日刊行,小澤書店,ISBN:なし[0095-120107-0791])

著者が晩年に出した『讀書〜』シリーズの第2作.木下杢太郎の中国・欧州紀行と彼による本の装幀を論じた第I部からはじまり,詩人論,旧制高校時代の回顧,漢詩に関するエッセイと続く.第IV部まで150ページほど歩き読み.小澤書店の本はつくりが心地よく,この本も柔らかめのクロス装が持ち歩きにぴったり.第V部は,著者の父である富士川游の追憶.富士川游は精神学が専門で,呉秀三らとともに活動した.著者もまた医史学とりわけ“病志”(pathography:「病跡学」という訳語を著者は排する)を専攻した.精神学者や pathographer に文才のある人が多いように感じるが,それは偶然ではない理由が何かあるのかも(単に,富士川游→富士川英郎富士川義之,という orthologues に限定されたことではない).続く第VI部は故人の思い出話.そして,最後の第VII部は東京での生い立ちと自宅のある鎌倉での身辺雑録.



少年時代に鎌倉で関東大震災に遭った著者は,東京の家に戻ったときのエピソードを記している:


その日,西片町の家に着いて休んでいると,家の塀の外の道を,近所のひとが大聲で,「まもなく一高の時計塔が爆破されます!」と叫んで通っていった.舊制の第一高等学校の校舎がいまの東大農学部のある位置に建っていたことは言うまでもない.本郷の電車通りに臨んで,その正門があり,それを入ってゆくと正面に煉瓦造りの,二階建ての本館があって,その中央に半圓形の鐘塔をもつ時計塔が聳えたっていた.『明治・東京時計塔記』(昭和四十三年,明啓社)の著者平野光雄氏によれば,この時計塔をもった本館は明治二十二年に建てられたのだという.…… この一高の本館及び時計塔は,関東大震災によって,大きな龜裂を生じ,補修に堪えない損傷をうけたので,陸軍工兵隊によって爆破されることになった.ものの十分も待った頃に,工兵隊の吹き鳴らす喇叭の音が高らかに聞え,やがてドーンという大きな爆音とともに黒煙がたって,一高の本館がその時計台もろとも,仰向けになって,ぐらりぐらりと,ゆっくり煙のなかに崩れ落ちていったのだった.その瞬間,誰の口からともなく「ああ!」という嘆聲があがったが,人々はなおその場に立ちどまったまま,しばらく立去りかねているようだった.(pp. 212-213)

その光景が目に浮かぶようだが,現代だけでなくこんなに昔から「塔の爆破」が見せ物のように扱われていたとは意外だった.工兵隊による「喇叭」奏鳴を合図に爆破されるという儀式化された手順はイベント性を十分に高めている.おそらく全国各地(とりわけ震災被災地)でこのような“爆破イベント”が繰り返されたのかもしれない.



〈夕陽無限好〉.

—— この本以外のシリーズ著作には,『読書好日』(1987年3月刊行,小澤書店,ISBN:なし),『読書間適』(1991年12月刊行,小澤書店,ISBN:なし),そして遺著となった『読書散策』(2003年3月刊行,研文出版,ISBN:4876362173)がある(正確には舊字體を使っているはず).これ以外の「別格本」として,100部限定本の『読書點心』(1994年,湯川書房,ISBN:不明)があるそうだが,これは古書価格で4〜5万円もする高価な本なので,ぼくには無縁./ 著者の他のエッセイ集はすでに発注済み.〈日本の古本屋〉で探したら,意外に近く,土浦の古書店で安く買うことができた.