『ミュージアムの思想』

松宮秀治

(2003年12月24日刊行,白水社ISBN:4560038988



【書評】

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テーマの選び方そのものは悪くないですよ(こういう類いの本はもっとあってほしいくらい).ぼくの評価が低いのは,包丁の入れ方と切り口がイマイチかなあということ.ミュージアムを取り巻く制度とか社会には目配りしているのに,主体である人間側の視点が欠けているような気がしてね.なぜ,ものを蒐集し分類し整理するのか――洋の東西を問わず根源的な部分での共通性は否定できないと思います.そういう体系化の精神が共通のベースとしてまずあって,その発現のあり方が時代と地域によってどのようにちがっていたという話の展開になってほしかったなあという個人的な感想です.いきなり「東西対決」を出されても戸惑うばかり.

ミュージアムやコレクションのもつ「政治性」を強調した立論.イマイチかなー.なんでもかんでも,西洋の植民地主義帝国主義に結びつけてしまうのは.




その意味で十六世紀中葉以後のヨーロッパでは,コレクションが内在的に秘めている「侵略性」と「政治性」を隠蔽する論理が構築され,それらを自然哲学,自然科学として正当化していく作業が継続されていく.[p.79]

「蒐集」という行為が性的倒錯か退行か逸脱かは別としても,その情熱は一種の狂喜であり,病理的現象であることだけは間違いない.[p.82]

一方で,すでに述べておいたように儒教文化圏でははやくから「玩物喪志」という思想があって,蒐集行為に負の記号を与え,西欧のようにコレクションを積極的に制度化する土壌を育ててこなかった.[p.88]

その意志とは,コレクションという行為を通じて,世界を分類し,カタログ化していく意志である.いいかえれば世界の掌握【マステリー】であり,世界の支配【マステリー】である.それは権力による世界の支配【マステリー】というより,知による世界の支配【マステリー】を意味する.[p.145]

わたしの真の意図はミュージアムを通じて「西欧」とは何か,「近代」とは何かを考えてみたいということである.[p.193]



この著者は問題の立て方を根本的に外していると思う.ミュージアムとかコレクションの社会的・政治的存立を強調するあまり,もっと分類者寄りの〈体系学的精神〉のありようをたどるという方針を見ていないのが本書の主張を空回りさせている原因なのだろう.要するに「最初から最後まで外したことを言い続けている本」ということ.

三中信宏(4-7/April/2004)