『古本通:市場・探索・蔵書の魅力』

樽見博

(2006年4月10日刊行,平凡社平凡社新書318], ISBN:4582853188



読了.日本古書通信社の生え抜き,ベテラン古書店員の話の数々はとてもおもしろい.あとがきに書かれているが,「古本屋の書いた本」というのは800冊もあるらしい.本を扱っていると本について書きたくなるものなのか.もちろん,新刊書店ではなく古書店だからという但し書きは付けないといけないのかもしれないが.後半に書かれている「蔵書のあり方」は教訓的でたいへん参考になる.元気なうちから自分の本の行く末のことを考えておかないと.

当然予想されるように,著者は[古]本の扱いに対してはとても気を遣っている.たとえば,本への書き込みについてはこう言う:




同じ線を引くにも「愛情ある」引き方があるように思うのである.[……]何のためにラインをあれほど強く引かなければならないのか,私は理解に苦しむ.(pp. 152-153)



ぼくの場合は「パーソナライズ」された本は(私費本・公費本を問わず[ただし共有本は除く]),徹底的に“書き込み”をしながら読むことにしている.思いつくことや備忘メモや連想事項などはすべて欄外に書き込むという主義だ.ノートブック代わりに本を使い倒しているということだろう.もちろん日常的に使う白紙のノートブックは持ち歩いているのだが,それとは別に常用のメモ用紙が本の「マルジナリア」にほかならないわけで,こればかりはだれが何と言おうが変えられるものではない.だから,たとえ何十年経っても,パーソナライズされた蔵書たちは,改めて読み返さなくても,「マルジナリア」だけをたどることでだいたいの内容を思い出すことができる.これだけ深くパーソナライズしてしまうと,他人が何かの機会に読むことを考えて,いつでも「初期化」できるように配慮しようなどということはまったく思いもつかない.そういう選択肢ははなから存在しない.

読んで消化してパーソナライズする — この繰り返しだ.だから,ぼくは図書館の本を借りて読むということは,よほどのことがないかぎりしない.図書館ではブツとしての本の“実在”を確認するにとどめて,あとは必要箇所のコピーをするか,あるいは別途購入するか,いずれかしか道はない.だって借りた本はパーソナライズできないもん.

—— なお,p. 129にある「日本生物地理学会の創設者蜂須賀正のような」という記述は誤り.正しくは,「日本生物地理学会の創設者蜂須賀正のような」ね.日本生物地理学会副会長がそう言うのだからマチガイなし(笑).