「蔵書はすべて売り払え」

ワタクシもそろそろ年貢の納め時なので,長年にわたって蒐め続けた蔵書の山をどうしようかと考えることが(たまに)ある.最近の世知辛い大学や研究機関に寄付したいと言ったところで,イヤな顔をされるのが関の山だろう.むりやり押し付けても整理されないまま死蔵されたり,運が悪ければ除籍廃棄されるかもしれない(京都市立図書館の桑原武夫蔵書みたいに).

それくらいだったら,目利きの古書店に売り払ってしまって(あるいはオークションに出品して),それを必要とするどこかの誰かの手に届くようにするのが,けっきょくはその本のためではないだろうか.とくに貴重な専門書ほどニーズはあるはずなので,売り払うのが悪い手だとは思えない.

もちろん,せっかく手間ひまかけて蒐めた蔵書が散逸するのは忍びないという気持ちはわからないでもない.しかし,必要であれば個人が時間とお金をかけて一から蒐書すればいいだけのこと.ワタクシの経験では30〜40年くらいかければ,自分用のライブラリーはほぼ完備するだろう.がんばってください.

考えようによっては,自分の本を古書業界に流すのは「恩返し」かもしれない.実際,ワタクシもどこかの誰かの個人蔵書や図書館除籍本を蒐書して,その中には著名な生物学者や哲学者の蔵書だった本を手にすることもあった.そう考えれば,自分が使い終わったらまた古書業界に戻すことで,別の誰かが再利用する道が拓かれるだろう.

ワタクシの場合は公費購入書籍はもともとほとんどないので,来たるべき(そう遠くない)将来のことを考えないわけにはいかない.しょせんは私的な蒐書なので,永続させる必要もなければその意義もない.遺された個人蔵書をめぐるいろんないざこざを仄聞するにつけ,「みんなみんな後腐れなく売り払ってしまえ」と思う.紙の本はそれぞれ永続するかもしれないが,その寄せ集めである個人蔵書は実は短命であってそれに囚われてはいけないという認識が必要かも.

【教訓】いつまでもそこに本があると思うな.