『世界の果てが砕け散る:サンフランシスコ大地震と地質学の大発展』

サイモン・ウィンチェスター(柴田裕之訳)

(2006年12月15日刊行,早川書房ISBN:9784152087850



【書評】

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昨年末から年越しで少しずつ寝読み進み,今日やっと読了.500ページもある大冊だったが,歴史(地球史を含む)の大きな流れからアメリカ史の片隅の挿話まで,盛りだくさんの内容をひとつの作品に組み上げる筆力は,同じ著者によるこれまでの本,たとえば『クラカトアの大噴火:世界の歴史を動かした火山』(2004年1月23日刊行,早川書房ISBN:9784152085436)とか『世界を変えた地図:ウィリアム・スミスと地質学の誕生』(2004年7月15日刊行,早川書房ISBN:9784152085795)を1冊でも読んだことがあればすぐに納得できるだろう.

本書が扱っているのは,今からちょうど1世紀前の1906年にサンフランシスコを襲った大地震である.しかし,日本でもよく出版されるタイプの「地震本」とはだいぶちがっている.というのも,サンフランシスコ大地震の原因に関する地質学的論議(著者の専門分野だ)とかその地震がもたらした被害のようす,そしてその後の復興ぶりなど,日本の多くの読者がすぐに想像するような項目内容は,実は本書を250ページあまり読み進んだ後半の第10章以降にならないと登場しない.それまでの長い前半部分は,「サンフランシスコ」という土地が置かれた地質学的背景,アメリカ史的背景,そして地震当時の社会的・文化的・人脈的背景についてのとても長い叙述である.

自然現象としてのサンフランシスコ大地震そのものの経緯(100ページに及ぶ第10章は手に汗握るものがある)もさることながら,それが置かれたさまざまなコンテクストをひとつひとつ切り出してくる,それもディテールの積み重ねの延長線上に大きな流れを描き出す —— これは著者お得意の物語スタイルである.

サンフランシスコでこの地震に遭遇したオペラ歌手エンリコ・カルーソーが動転しつつも周囲の崩壊状況を描いた“イラスト”(p. 278)や,震源地から打電された事務的な文面の電報,火事嵐の中で崩れゆく街並を映した歴史的写真,そして波打つ大地に不幸にも居合わせてしまった人びとの証言など,掘り起こされたさまざまな情報ソースを丹念に配置しながら,著者は「自然現象」としてだけではけっしておさまらないサンフランシスコ大地震の重層的な「実像」を明らかにしようとしている.

サンフランシスコという土地がたまたま大陸プレートの境界に位置し,サンアンドレアス断層の影響を直撃する運命を背負ってしまったことは,そこに住んでいた(住んでいる)人びとの責任ではない.しかし,そのような“天変地異”があることが確実なのに(いつやってくるかは不詳だが),日常生活に埋没した生活人はともすれば想像力が萎えてしまいがちだ.著者は,アメリカ大陸を東西南北走りまわり,「相手」の巨大な全体像を実感として読者に伝えようとしている.

本書の冒頭は宇宙からの地球の眺めから始まる.まるで,ヒエロニムス・ボスの〈快楽の園〉を開封するような気がする.現世のささやかな幸福が大地の一撃であっけなく揺れ崩れてしまうその落差をわれわれは本当に理解できているのだろうか.著者は本書の末尾で読者に向かって語りかける:




新しい地質学は教えてくれるのだ.モンタナ州ワイオミング州の山々のような場所は,地球の許しを得てこそ存在するのだということを.ニューマドリッドも,チャールストンも,アンカレッジも,バンダアチェも,そしてもちろんサンフランシスコも,町や都市はみな,この惑星の許しがあってこそ存続するのだということを.そして,その許しは人類に特別に与えられた恵みであり,突然,何の警告もなく奪いさられてもおかしくないものだということを.(p. 426)



このような「大地の一撃」に比べるならば,100年前のこの大地震を契機として,サンフランシスコが西海岸での覇権を失っていったこととか,キリスト教ペンテコステ派が大躍進を遂げたこととか,チャイナタウンの住民たちが天使島で地獄を見たことなどは,ことごとく「束の間のもの」(p. 426)なのかもしれない.

もともと地震に敏感なはずの日本人読者であっても,本書から読み取るべきことがらはきっと少なくないにちがいない.タイムリーな翻訳書だ.

目次

三中信宏(28 January 2007)

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追記早川書房のブログ(1月30日付)で言及されました.ダンケ!