『「ニューヨーカー」とわたし:編集長を愛した四十年』

リリアン・ロス[古屋美登里訳]

(2000年12月20日刊行,新潮社,東京,333 pp., ISBN:4105404016

【書評】※Copyright 2002, 2014 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

超メジャーな硬派雑誌『ニューヨーカー』を戦前戦後をまたいで半世紀にわたって取り仕切ってきた名編集長ウィリアム・ショーン.この本は,ありていに言えば,ショーンの“愛人”だったジャーナリスト,リリアン・ロスがショーンとの愛情生活を仕事を交えながら回顧した伝記だ.ただし,月並みな「愛人ネタ」の暴露に終らず,当時の米国ジャーナリズムのありようを描き出したことが,この本の最大の魅力だろう.ショーンとロスはともに一流の編集者・作家だった.



編集者ショーンはひたすら『ニューヨーカー』を愛し,当時のアメリカの一流作家や芸術家を総動員するように,この雑誌の紙面を活性化させた.サリンジャーやアップダイクら作家はもとより,チャップリンマーロン・ブランドら俳優陣,コープランドら作曲家も登場する.その傍らで,記事を書き続けたリリアンもまた,取材と執筆が人生の全ていう感じで走り回っていたことがわかる.二人の出会いと関係の深まりは加速度的だし,読者の方がはらはらさせられる.



二人の関係は,ふつうに理解されるような,薄暗く隠微な「愛人関係」とはぜんぜんちがって,生きる力というか創造力が伝わってくる.これは国柄のちがいか? それとも両人のパーソナリティのなせるところか.とにかく,ロスはショーンとの四十年におよぶ愛人関係の中で「結婚証明書以外のすべてを勝ち取った」と言い切れるのは,ただごとではない.ショーンの正妻であるセシルに対して「友情すら感じた」と言ってのける強靭さには,ある種の戦慄すら覚えた.



直情的なロスに比べたら,ショーンの方がはるかに錯綜・鬱屈した香りを漂わせている.もちろん,仕事は有能だし,多くの作家が彼を心底頼っていた事情が第8章「編集長」でつづられる.しかし,一方では家庭生活に悩み,ロスとも離れられずという二律背反のなかで,「あそこにいるけれど,あそこにはいない(Here but not here)」(p.27)と呻き続ける生き方はさぞかしつらかっただろう.



伝記としてはきっと異色の仕上がりになっているだろう.しかし,いたるところでばっさり切り落とすロスの手口では,ショーンの(もちろんセシルの)立つ瀬がまったくないような,一方的な違和感が残った.ロスの立ち居振る舞いには(日本人的な意味での)誰彼問わず暖かさがどこにもない.女優マレーネ・ディートリッヒが老年になっているのを見て,「ああはなりたくない」なんてどの口が言うのか.



強すぎるロスに親近感を覚える読者もきっといる思うけど,終始よろめき続けたショーンの内面をもっと「そっと」見たかったな気もする.



三中信宏(2002年5月30日|2014年1月5日加筆修整)