『作家の収支』

森博嗣

(2015年11月30日刊行,幻冬舎幻冬舎新書401],東京, 204 pp., ISBN:9784344984028目次版元ページ

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作家という「幻想的職業」の財務分析



こういうテーマの本は初めて手にした.淡々と冷静にしかも生々しく「お金の話」をする筆致につい引き込まれてしまう.よけいな脚色や婉曲がいっさいない直球表現が小気味よい.ワタクシはこの作家の小説を一冊も読んだことがないが,本書は良書.



まずは第1章「原稿料と印税」から.小説家の本務は「小説を書くこと」と断言する直球ぶり:



  • 「最も大事なことは、多作であること、そして〆切に遅れないこと」(pp. 72-73)
  • 「細かい仕事はあまりひき受けないほうが良いように僕は思う。メインの仕事ではないということだ。メインは,やはり自分の作品を執筆することであり、自分の本を上梓することである」(p. 77)
  • 「1作出して、それが売れるまで放っておくというマーケティングではまず成功しない。やはり、常に新作を出すことが作家の仕事の基本といって良いだろう」(p. 91)


続いて第2章「その他の雑収入」に進む.小説を書く以外にもいろいろあるようで.それにしてもこの著者はちゃんと記録を残しているなあ.あ,この点はワタクシと同意見だ:



  • 大学入試問題に自分の作品が出題されることについて:「「ここで作者は何を言おうとしているのか?」みたいな設問がたまにあったりする.作者としては「べつになにも言おうとしていない」と密かに思う」(p. 139)― やっぱり!


第3章「作家の支出」はとてもおもしろい.入る金があれば,出る金もあるのは当然:



  • あ,これは重要な指摘:「自分の好きなものがはっきりわかっている状況こそが,その人を成功へと導くという例が多い.この道理でいくと,人を羨む人は成功しない」(p. 171)


第4章「これからの出版」が本書のクライマックス:



  • 冒頭節:「まず,非常に簡単な傾向が観察される.メジャなものが減り,マイナなものが増えている,ということである.……簡単に言うと,かつてあったような「大当り」はもうない.大ヒットするものがない,ということだ」(p. 174)
  • 「そこで,方向を転換し,もっとスペシャルな需要に,製品を投入するようになる.最初からマイナなものは恐いので,せいぜいカスタマイズが可能なオプションで誤魔化す.それでも,一辺倒だったものよりはそれがスペシャルに見える.そういうイメージを作って宣伝をすれば,大衆は誤魔化される」(p. 175)
  • 反響について:「マイナスの反響で落ち込まないことは当然だが,プラスの反響で有頂天になるのはもっと良くない.数人に褒められてもしかたがない.良い気持ちになっても,さっと忘れること.この切り換えができないとプロにはなれないと思った方が良い.大事なことは,個々の反響ではなく,反響の「数」なのである」(pp. 190-191)― ワタクシだったらすかさず「書評確率分布をつくれ」と言いたい.総数だけでなく平均と分散が必要だから.
  • 率直すぎる!:「スランプというものを経験したこともない.どうしてかといえば,僕は小説の執筆が好きではない.いつも仕事だからしかたなく嫌々書いている.小説を読む趣味もない.この仕事がさほど好きではないし,人に自慢できる価値があるとも認識していない.スランプにならないのは,このためだと思われる」(pp. 196-197)


この第4章のエンディングは示唆に富む:



  • 「小説家以外の職業,あらゆる職業でも,まったく同じことがいえるだろう.近頃は,仕事に「やり甲斐」を求めたり,「憧れの職業」などといった幻想を持ったりする若者が多い.……実社会にはそんなものは存在しない.幻想なのである」(pp. 197-198)― 著者はこの「幻想」に悪い意味をこめてはいない.
  • 「小説家だって,多くの志望者が遠くからぼんやりと見ているもの,自分の将来に対して思い描いているものは,確実に「幻想」である.そういった「幻想的職業」の最たるものの一つといっても良い」(p. 198)― そっくりそのまま “研究者” に当てはまりそう.
  • 「自分の好きなことが仕事にできる,というのはたしかに幸運ではあるけれど,そこには,必ず違った側面がある.だんだん,その違った部分が大きくなるだろう.そのときに,職業としての立場を支えるものは「その仕事が好きだ」だけではなく,むしろ,「好きなことができる」自由であり,そのために必要な環境なのである.その自由と環境は,仕事をして得た報酬によって実現されるものだ」(p. 198)― この身も蓋もないストレートな文章表現が実に心地よい.すばらしい.


書くことを生業とする作家というキャリアがどのようにつくられていくのかは外からはよくわからない.いわゆる “破滅型” 作家たちのとんでもないエピソード群は,たとえば:校條剛作家という病』(2015年7月20日刊行,講談社講談社現代新書・2323],東京,320 pp., ISBN:9784062883238版元ページ)に(編集者の観点から)蒐められている.そのような作家集団と比べれば,本書の著者は伝記的にはけっしておもしろくないかもしれない(鉄道マニア的には注目すべき人物だろうけど).作家としての収入と支出を冷徹に評価するという本書のテーマそれ自体が,ハチャメチャな作家群像に野次馬的興味を示したがる(よく知らないけど)一般読者にはウケないかもしれない.



もうひとつの「幻想的職業」である「研究者」に置き換えたとき,いずれ誰かが書くかもしれない『研究者の収支』はいったいどんな本になるんだろうかとつい想像してしまった.先日読んだ:室井尚文系学部解体』(2015年12月10日刊行, 角川書店[角川新書・K-58], 東京, 238pp., ISBN:9784040820514書評目次版元ページ|著者ブログ〈短信〉)のある章で書かれていた:「好きな勉強ができれば収入などなくても大丈夫という貧乏人の変わり者」(p. 127)の研究者(大学院生・ポスドクを含む)であっても,光合成で栄養を得ているのでないかぎり,どこからかお金を得て,何かしらにお金を使っているはずである.しかし,研究者というキャリアのなかでの「お金の話」は研究資金とか奨学金に関連する話題をのぞけばほとんど語られることがない. 書くとなれば輪をかけて身も蓋もない話になってしまうのかもしれないが.



小説を読む習慣がまったくないワタクシは,これからも小説家・森博嗣を読むことはけっしてないだろう.しかし,仕事人としての彼の考え方と主張にはおおいに共感できた.ワタクシと同年齢である著者はすでに「引退作家」を自称している.しかし,本書でもっともすばらしい「あとがき」(pp. 199-204)はストライクゾーンど真ん中に入りすぎて,棒立ちするしかない.ワタクシもかくありたいものである.この「あとがき」に書かれている内容はあまりに感銘を受けすぎてとてもここには書けない.みんな,買って読め.



三中信宏(2016年1月19日)



追記]著者はカタカナ語末の「長音記号(ー)」を徹底排除する主義らしく(工学系出身だからか?),「ミリオンセラ」「メジャ」「マイナ」と表記している.本筋には何の関係もないことだが,ちょっと気になった.