『Biological Individuality: The Identity and Persistence of Living Entities』

Jack Wilson

(1999年刊行,Cambridge University Press[Cambridge Studies in Philosophy and Biology], Cambridge, xii+137pp. ISBN:0521624258 [hbk] → 目次

【書評】※Copyright 1999, 2015 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



生命体(living entities)とそれがつくる類(kind)の同一性と持続性を論じるこの本では、「個物性」(individuality)がキーワードです。もちろん、このことばは「種問題」(the species problem)にも直結しています。本書では、「哲学者は実際のいきものを見もしないで、思考実験に耽り過ぎている」というごく一般的な批判の上に、【多様な生物界】に目を向けつつ生物の「個体性」を哲学的に議論すべきである、と主張します。その通りだと私は考えます。



第1章では、ジョン・ロック(Locke 1690)以降、現在にいたるまでの個物化論(theory of individuation)を概観し、なぜ過去の哲学者たちが解答を提出できなかったのかを探ります。Wilson の理由づけは単純で、「哲学者は生物を知らない」ということ。実際の生物例の少なさとその反動としての思考実験と仮想例への過度の依存が、過去の哲学的議論に共通する欠点であると彼は指摘します。



ヒトとかイヌみたいな典型個体(paradigmatic individual)だったら、われわれヒトのもっている民俗的個体観(folk ontology:9)ですんでしまうが、それでは広大な生物界のごくごく一部分をサンプリングしたにすぎません。常識的な個体観がそのまま通用するわけではないと著者は言います。



Wilson は3次元物体としての個体を実体類(substantial sortal: 17)とみなして、その定義を目指します。彼は生物個体は単に時間切片ではなく、時間的に持続するものと考えています(p.16)。彼の主張の核心はある種の本質主義−時間的本質主義(temporal essentialism: 16)−を提出することです。彼は、生物学者が本質主義に反対してきたことを承知しながらも、「もっと口当たりの良い本質主義」は可能だろうと楽観的です(p.17)。第3章では、このバージョンの本質主義に関してさらに深く考察します。



第2章では、生物学者が「個体性」をどう論じてきたかを19世紀の Thomas Henry Huxley 以来、現在の淘汰単位論争までたどります。



David Wiggins 『実体と同一性』(Wiggins 1980)の主張もそうでしたが、個なり類なりを「個別化」するときには、どうしても本質主義を採用せざるをえないようです。Wilson も路線は同じで、本質に主体的役割を与えない「弱い本質主義」ならば科学的にも問題ないだろうと言います(p.29)。第2章の後半では、Saul Kripke と Hilary Putnum の本質主義は本質に主体的・因果的役割を与えていると批判します。



Wiggins は実体類の候補としてはまず自然類(natural kind)を挙げるべきだと言いました。Wilson は自然類は経験的に検証可能な外的パターンであるとみなします。つまり自然類は自然界に実在するパターンであるということ(pp.42-46)。もちろん、パターンとしての自然類を知ることは主体側の認知能力に依存します(p.47)。この観点から、彼は Wiggins らの相対的同一性論 —— 「A=B」という絶対的同一性(ライプニッツの原理)ではなく、sortal "f" に関する相対化「A=[f]B」すなわちAとBとは同一の f である —— には批判的です。



生物学的種に関しては著者は冷淡ですよ:「生物学的種はそれがなんであれ実体類ではない」(p.34)。



続く第3章では、実体類としての個体の定義を提案します。Wilsonの提案は多元的で(pp.60ff.)、個(particular)・歴史的存在(historical entity)・機能的個体・遺伝的個体・発生的個体・進化単位というように複数の個体概念を提出します。それぞれの「個体」のもつ本質については第4章でさらに議論されます。



最後の第6章では、これまでの「個体性」の議論を「人」に適用します。特に、人格人(person)とヒト(human being)とのちがいについて議論する。Wilson の個体論に従えば、多重人格も哲学的には問題なしとか。個人の同一性と持続性は形而上学では大問題だったんですね(考えてみればそうだろうねぇ)。



生物学でいま議論されている「種問題」は、煎じ詰めればと「類」の存在論的地位の問題です。それは、アリストテレス以来の形而上学−その言葉の正当な意味で−の中で、基本問題のひとつ(個および類の同一性と持続性)とみなされてきました。中世のスコラ哲学者は延々とこの問題を議論し(実念論 vs 唯名論の「普遍論争」として)、その後のホッブズライプニッツを経て、哲学する者がいまもなお考え続けている論点です。



本書を読んで、私は形而上学の「知的系譜」の流れをはじめて実感できた気がしました。本書と同じような内容を論じた形而上学の本は現在も出版され続けています(生物学者はそれに気が付かないだけかも)。David Wiggins の本を読んだときは、悲しいかな、私にはこの「知的系譜」を感じ取ることができませんでした。Wiggins の文体が形式的過ぎたからかもしれません(論理式がばしばし出てくるんだもん)。しかし、Wilson を読んだ後にもう一度 Wiggins に戻ってみると、確かに Wiggins の本もこの「知的系譜」に属していることがわかります。



Wilson の新著は Wiggins の本の内容を意識して書かれています。たとえば、Appendix は Wiggins 本の sortal 論 —— 個体の相対的同一性を支持する論 —— に対する論駁を目指しています。Wilson を読むことで Wiggins の理解が深まり、また逆に、Wiggins を読み直せば Wilson の議論の出発点がわかる ― これは私にとって大きな収穫でした。



Wilson 本は、量的にはすごく薄い本(しかも値段はとっても高い!)であるにもかかわらず、内容的には実に興味深く、私にとってはたいへん勉強になりました。



三中信宏(1999年10月24日/2015年7月28日改訂)



    引用文献

  1. John Locke 1690. An Essay Concerning Human Understanding. 4 Volumes. [ジョン・ロック著,大槻春彦訳 1974. 人間知性論(全4冊). 岩波書店,東京]
  2. David Wiggins 1980. Sameness and Substance. Basil Blackwell, Oxford, xii+238pp.