『発酵食の歴史』読売新聞書評

マリ=クレール・フレデリック[吉田春美訳]
(2019年2月27日刊行,原書房,東京, 341 pp., 本体価格3,500円, ISBN:9784562056330目次版元ページ

読売新聞大評が公開されました:三中信宏三中信宏「人間の生存支える — 発酵食の歴史 NICRU,NICUIT…マリー=クレール・フレデリック著」」(2019年5月5日).



人間の生存支える

 細菌や菌類などの微生物の作用によってつくられる発酵食は日本の日々の食卓でもおなじみだ。和食ならば味噌・納豆・漬物・醤油、洋食ならばパン・チーズ・熟成肉・ヨーグルトなど枚挙にいとまがない。世界の食文化に目を向ければさらに多様な発酵食がある。発酵食の歴史をたどる本書は「人間のいるところに発酵食あり」とし、われわれ人間が発酵食ときわめて密接にかかわりながら生きてきたことを世界中の発酵食の例を挙げながら論じる。

 人類進化の黎明期からヒトの祖先は採集狩猟生活の中で食料の保存という生存上の重大な問題に直面していた。生肉や生野菜は常温でそのまま放置すれば環境中の微生物の働きによりすぐ傷んでしまう。しかし、人間にとって害をなす「腐敗」と逆に益をもたらす「発酵」とは現象的には表裏一体である。本書前半の第一部では、かつての人間が目に見えない微生物の作用をいかにコントロールして保存性の高いしかも美味な発酵食をつくってきたのかについて考古学上の遺物や歴史書あるいは神話や伝説を通して探る。

 続く第二部では現在の世界に広がる発酵食文化の全貌を見渡す。上に挙げたさまざまな発酵食料はもちろん、ビールやワインなどのアルコールを含む発酵飲料もまた重要な発酵食のカテゴリーであると指摘される。たとえば日本酒は、麹菌と酵母による並行複発酵という世界的に類を見ない特殊な発酵方式による発酵飲料である。人間の飲食のすべてに発酵は深く関わっている。

 最後の第三部では、昨今の“清潔志向”が、発酵を営む微生物に対する過敏な警戒心をもたらしている現状を憂える。とにかく殺菌・抗菌処理をすれば安心だという風潮はまちがっていると著者は指摘する。しかし、しょせん人間は微生物の敵ではない。彼らはすぐ人間のもとに戻ってきて、われわれの生存を陰でしっかり支えてくれる。発酵バンザイ。微生物に幸あれ。吉田春美訳。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年5月5日掲載|2019年5月17日公開)