小倉ヒラク
(2019年6月10日刊行,D&DEPARTMENT PROJECT, 東京, 217 pp., 本体価格1,800円, ISBN:97849030973 → 目次|版元ページ|著者サイト)
読売新聞ヴィジュアル評の鍵がはずれて公開された:三中信宏「小倉ヒラク著「日本発酵紀行」」(2019年8月25日掲載|2019年9月2日公開)
東西南北に延びる日本列島のさまざまな自然環境が食生活や食文化にも反映される。発酵食品といえば、味噌・醤油・酢、漬物や納豆や魚醤、酒まで含めれば数えきれない。この多様性こそ発酵食品が人間の食生活に広く深く根付いている証左だ。
本書は「発酵デザイナー」を名乗る著者が、日本全国津々浦々を旅しながら、伝統ある発酵食品とそのつくり手を訪ね歩いた紀行本だ。
「かんずり」=写真=は塩漬けの真っ赤な唐辛子を雪の上でさらしてから何年も発酵させる。発酵と腐敗は紙一重。ここにいたるまでにどれほどの試行錯誤が繰り返されたのだろうか。
生き生きとした文体とともに味わいたいのがカラー写真の数々だ。たちのぼる匂いやしあがりの味わいまで読者に伝わってくる。とてもおいしい本である。
三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年8月25日掲載|2019年9月2日公開)
初めてのヴィジュアル評だったので,制限字数を心得ていなくて,元原稿を半分以下に削るハメになった.せっかく書いたものをボツにするのはもったいないので,下記にその元原稿を再録する.
発酵を求めて全国行脚
東西南北に伸びる日本列島は地方ごとに自然環境がちがい,それは食生活や食文化にも反映されている.発酵食品といえば,厨房で欠かすことができない味噌・醤油・酢などの調味料類はもちろん,食卓の常連である漬物や納豆,魚を発酵させた押し寿司やなれ寿司や魚醤,そして酒・焼酎・泡盛などアルコール飲料まで含めればとても数えきれない.また,同じ納豆でも,粘った糸を引く納豆と塩辛く乾いた大徳寺納豆では大きなちがいがある.この多様性こそ発酵食品が人間の食生活に広く深く根付いている証左だ.
本書は「発酵デザイナー」を名乗る著者が,日本全国津々浦々を旅しながら,各地でつくられてきた伝統ある発酵食品とそれをつくる人々を訪ね歩いた紀行本だ.どこでも見かける食品もあれば,ごく限られた地域だけでしか生産されていない珍品もある.発酵食の製造元を取り巻く土地柄を身をもって経験し,つくり手の語りにじっと耳を傾けるとき,日本のさまざまな発酵食品がたどってきた長い歴史が垣間見える.
たとえば,妙高高原の「かんずり」(pp. 158-9)は塩漬けの真っ赤な唐辛子を雪の上でさらしてから何年も発酵させるという.いったい誰がこんな手間のかかるレシピをつくりあげたのだろうか.発酵と腐敗は紙一重.ここまで完成された発酵食品ができあがるまでにどれほどの試行錯誤が繰り返されたのだろうか.
生き生きとした文体とともに味わいたいのが挿入されているカラー写真の数々だ.土地ごとに異なる顔をもつ “地霊(ゲニウス・ロキ)” は気候風土をかたちづくる.そして,つくり手の表情や仕込みの写真からは,たちのぼる匂いやしあがりの味わいまで読者に伝わってくる.
いかにも年季の入った醸造用の木桶に染み付いた色合いと風格は “発酵の神々” の御座所にふさわしい.目には見えない微生物たちの降臨のおかげで,日本人の食文化はかくも豊かになってきた.前著『発酵文化人類学』(木楽舎)で発酵と人類学とのつながりを概説した著者は,本書を通じて日本における豊かな発酵文化を読者に伝えている.とてもおいしい本である.