『確率と哲学』読売新聞書評

ティモシー・チルダーズ[宮部賢志監訳|芦屋雄高訳]
(2020年1月30日刊行,九夏社,東京, 325 pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-909240-03-3目次版元ページ

読売新聞大評が公開された:三中信宏確からしさとは何か? —— 確率と哲学 ティモシー・チルダーズ著」(2020年3月8日掲載|2020年3月16日公開):



からしさとは何か?

 世の中には起こるかどうかが不確実なできごとがたくさんある。その確からしさの程度は「確率」という数値で与えられる。たとえば、硬貨を投げたとき表が出る「確率」とかサイコロを振って出る目の「確率」の計算のやり方は学校の授業で習うことがあるだろう。この確率の考え方は日常にも深く入り込んでいる。天気予報を見てその日の「降水確率」が高ければ傘を持って出かけた方がいいだろう。日本に住んでいれば巨大地震の「発生確率」が気にならないわけがない。最近話題の新型コロナウイルスの「罹患確率」が国内で高まれば予期しない施策が降ってくることもある。このようにできごとの確率の大きさは日々の社会生活に大なり小なり影響を及ぼしている。

 そもそも確率って何だろうか?――本書を読むとそれが実は難問中の難問であることがわかる。正しく鋳造されたコインを何度も繰り返し投げ続ければ表の出る確率の値は「0・5」に収束していくだろう。これは「頻度主義的」な定義と呼ばれ、統計学のオーソドックスな理論で採用される。これに対してある事象に対する“信念の程度”を反映する「主観的」な確率の定義をベイズ主義者は支持する。その他にも傾向性解釈や論理的解釈など確率をめぐる数多くの学説が提唱されてきた。

 本書は科学史・科学哲学はもとより数学・論理学さらには物理学まで動員して確率基礎論をバランスよく論じている。しかし、それでも最終結論には至らない。確率をどのように定義しようとも突き詰めれば何かしら未解決の問題が残るからだ。厳密な数学理論でさえ完全ではない。

 科学は問題の解決を目指すのに対し、科学哲学は問題の定式化を目指す。その意味で本書は実に科学哲学らしい本だ。数学上の用語や概念については巻末の補遺にまとめられているので、多くの読者は本文を心安らかに読み進められるだろう。確率をめぐる“謎”は今なお尽きない。宮部賢志監訳、芦屋雄高訳。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2020年3月8日掲載|2020年3月16日公開)