『専門知を再考する』読売新聞書評

H・コリンズ,R・エヴァンズ[奥田太郎監訳|和田慈・清水右郷訳]
(2020年4月25日刊行,名古屋大学出版会,名古屋, viii+179+30 pp., 本体価格4,500円, ISBN:978-4-8158-0986-7目次版元ページ

読売新聞大評が公開された:三中信宏新たな科学像の構築へ —— 専門知を再考する H・コリンズ、R・エヴァンズ著」(2020年8月30日掲載|2020年9月7日公開)



新たな科学像の構築へ

 原発事故やコロナ禍など大きな社会問題が浮上するたびに、科学的な専門知識が必要だと繰り返し公言されてきた。その一方で、専門家の見解が不当に軽視されたり政治的な曲解誤用の憂き目に遭うことは少なくない。専門的な知識はえてしてつまみ食いされ、つねにそれにふさわしい価値を認められ、尊重されるわけでは必ずしもない。専門知をないがしろにする悪しきポピュリズムの伝統はいまだに根強く残っている。

 そもそもここでいう「専門知」とはいったい誰のものだろうか。科学者の特権か、一般人にも手が届くのか。どうすればその「専門知」は身に付くのか。本書は科学における専門知の特徴とその実在性を明快に整理した上で、この専門知がどのように形作られて広まるかを理論と実験の両面から解明しようとする。

 本書が提唱する専門知を分類する「周期表」は興味深い。とりわけ、ある分野を実質的に担う「貢献型専門知」を会得した“その道の専門家”との密接なやりとりを通して得られる「対話型専門知」という新たなカテゴリーが論議の核となっている。この対話型専門知をよりどころとして新たな科学論への道筋が示される。たしかに対話型専門知があれば複数の専門分野をまたいだ生産的なつながりが期待できるだろう。しかし、この専門知は誰にでも容易に手に入れられるわけではない。明示的な部分(オモテ)と暗黙知の部分(ウラ)から構成される専門知のなりたちは、“科学”に対して万人には必ずしもたどりつけない特別な地位をふたたび与えることになる。

 本書はかなり歯ごたえがある専門書で、読めばすぐわかるタイプの本ではけっしてない。幸いなことに、著者コリンズは一般読者向けに『我々みんなが科学の専門家なのか?』(法政大学出版局)を出している。この2冊を合わせ読めば、新たな科学像を構築しようとする著者の主張をよりよく理解できるだろう。奥田太郎監訳、和田慈・清水右郷訳。

 ◇Harry Collins、Robert Evans=英カーディフ大教授。科学技術社会論

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2020年8月30日掲載|2020年9月7日公開)



本書と姉妹本:ハリー・コリンズ[鈴木俊洋訳]『我々みんなが科学の専門家なのか?』(2017年4月27日刊行,法政大学出版局[叢書・ウニベルシタス 1055],東京, vi+217+7 pp., 本体価格2,800円, ISBN:978-4-588-01055-2版元ページ)では,専門知を注意深く分類した「周期表」を提示することにより,専門知のもつさまざまな属性を整理した.とりわけ,この周期表の「スペシャリスト専門知」は読者の関心を惹く.ある特定分野に関する深い知識と十分な経験を積むことによって得られるこのスペシャリスト専門知は「ユビキタス暗黙知」と「スペシャリスト暗黙知」に分けられる.後者には「貢献的専門知」と「対話的専門知」が含まれる.

著者が注目するのは対話的専門知だ.貢献型専門知とは「自らある領域に馴染みにいって «特定分野の暗黙知» を得ようとすることであり,ただ単に雑多な事実だとか,雑多な事実同然の未整理情報についてより多くのことを覚えることではないのである」(『専門知を再考する』pp. 17-18)である.一方,対話的専門知とは「ある専門家コミュニティーの言語的会話に参加し,実践的活動への参加や意図的な貢献をしないままで,流暢に会話に参加できるようになったときに獲得される専門知である」(『我々みんなが科学の専門家なのか?』pp. 91-92).対話型専門知は複数の専門分野をまたいだつながりが期待できる.

しかし,スペシャリスト暗黙知は誰でも容易には手に入らない.明示的な部分(オモテ)と暗黙知の部分(ウラ)から構成されるスペシャリスト暗黙知のなりたちは,そのときどきの研究者コミュニティーとどのように関わるのかという問題とつねに絡んでいる.ここに科学の特権的地位が再浮上する.


—— 『専門知を再考する』はけっして読んですぐわかる本ではないが,しっかり読み込むべき価値は確かにある.