『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた』第2巻

ウリカ・セーゲルストローレ

(2005年2月23日刊行,みすず書房ISBN:4622071320



第12章「社会生物学論争の中のハムレットたち」と第13章「伝統の衝突」を読了.70ページほど.第1部での historiography を踏まえた第2部は,なかなか読み応えのある章が多い.第12章では社会生物学論争の中で“微妙な”立ち位置にあった研究者たちのエピソード.続く第13章では,一方の社会生物学推進派が「ナチュラリスト」的伝統を背景に,現象に関するモデル化や仮説づくりのもつ発見的意義を積極的に認めようとしたのに対し,他方の社会生物学批判派がむしろ旧来的な「実験主義」的伝統をバックにしてナチュラリスト的「ええかげんさ」を叩くという構図が見られたと指摘する.

ウィルソンにとって重要なのは,モデルが現実の「真の記述」であることではなく,モデルの予見的な力(あるいは「適応性」)だった.けれども,ルウォンティンにとっては,モデルは現実を「正しく」記述していなければならなかった.・・・このように,ウィルソンとルウォンティンの衝突は,普遍主義者のレヴェルで起こったのであり,そこには相互理解のためのなんらかの基盤を提供するような共通のナチュラリスト精神−−あるいは,この問題に関しては,批判精神−−は存在しなかった.(p. 458)


著者が指摘するこの「ナチュラリスト的アプローチと実験主義的アプローチの対立」(p. 463)は,社会生物学をめぐる推進派と批判派との間に,ほとんど認識論的な断絶に近い状況を生んだ:

かくして,IQ論争および社会生物学論争の基盤の上に形成された二つの学者陣営は,事実に関する知識,当然とされる前提,そしてメディアといった事柄に対する態度について,実質的に,二つの異なる世界で別に生きることになったと言うことができる.(p. 479)