『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた(1)』

ウリカ・セーゲルストローレ[垂水雄二訳]

(2005年2月23日刊行,みすず書房,上巻:ISBN:4-622-07131-2



【書評(1/2)】

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◆勝ったのは「誰」だったのか?◆

エドワード・O・ウィルソンは,1975年に出版された大著『社会生物学』の著者として,その後の20年間に及ぶ「社会生物学論争」の中心(標的)であり続けた.日本にも社会生物学とその論争の“洗礼”をさまざまな程度で受けた世代の研究者たちがいる.本書は,現代進化学における一大事件であるこの論争の全体像を当事者たちへのインタヴューやさまざまな内部資料を踏まえて描き出した労作である.その頁数と価格に怖じ気づく読者はきっと少なくないだろう.しかし,少なくとも社会生物学を中心とする現在の進化生物学のある領域のたどった歴史を知る上で本書は〈必読書〉であると確信する.ほかの本を読んでもけっしてわからない「内々の個別的事情」とか「底流としての人間関係」がこの本には書かれている.だから読むしかない.

全体は三部に分かれている.第1部「社会生物学論争で何があったのか」は,社会生物学論争の歴史叙述(historiography)である.そして,この歴史をふまえて,第2部「社会生物学論争を読み解く」では,長年にわたる論争を支えてきた科学者たち深層動機,そして科学が動くしくみを探ろうとする.さらに第3部「科学をめぐる闘いの文化的な意味」では,社会生物学論争から一般化できる,「科学」との関わり方についての著者の見解が述べられる.

まずはじめに,第1章「真理をめぐる闘いとしての社会生物学論争」では,全3幕構成“オペラ”に見立てた論争の経緯の脚本とキャスティングが示される.

第2章「社会生物学をめぐる嵐」と第3章「衝突に突き進む同僚」は,E. O. Wilson が大著『Sociobiology』を出版した1975年直後に勃発した闘いを記述する.とくに,著作のもつ政治的意味合いに関して極度に鈍感だった Wilson と,対照的にそういうことに関して極度に敏感だった〈人民のための科学(SftP)〉グループ(とくに中心的役割を果たした Richard Lewontin)との間の緩衝なき正面衝突について詳しく書かれている.例の「水掛け事件」も登場する.30年前のこの論争が始まった頃は,ぼくはまだ大学入学直後で,農学部に進学してから初めて『Sociobiology』輪読会に参加した.あの敷石のように四角くて重い本を抱え歩く光景が日本のいたるところで見られたと聞いている(思索社からいささか時期遅れの翻訳が出る前のこと).もちろん,SftPの活動も聞き知っていて,『Biology as a Social Weapon』という本のコピーをもっていた(セーゲルストローレ本でも言及されている初期のアンチ社会生物学文献).SftPの実質的指導者が Lewontin だったことを本書で再認識した.

第4章「英国派とのつながり」を読み進む.William Hamilton が包括適応度の論文を Journal of theoretical Biology 誌に載せるまでの悪戦苦闘ぶりが描かれている.彼は,群淘汰説礼讃の当時のイギリス生物学界の中で,徹底的に冷遇され続けたとか.生物系であるにもかかわらず,なぜLSE(London School of Economics)の社会科学研究室に在籍しなければならなかった理由とか,その後に移籍した University College の Francis Galton Laboratory(あのJTB論文はここの所属から書かれたと記憶している)でも机ひとつもらえなかったこととか.E. O. Wilson の『Sociobiology』の最大の功績のひとつは,埋もれた Hamilton をよみがえらせたことにあると著者は書いている.

William Hamilton のJTB論文(1964)は,その独特の数式の「表記に用いられる白丸と黒丸の区別がはっきりつかないタイプライターを使っていた」(p. 106)ので,査読した John Maynard Smith は放り出しそうになったそうな.Hamilton 論文を一度でも見たことのある読者ならば,著者が言わんとしていることがよく理解できるだろう.あの論文を第1部と第2部に分割するように指示したのは Maynard Smith らしいが,そのあたりの事情はすこし微妙なものを含んでいるようだ.Hamilton のケースは確かに不遇ではあったのだが結果的にはハッピーエンドだったのかもしれない.それに比べると共分散公式で知られる George Price の場合はもっと天才的かつ悲劇的なケースだったのだろう.木村資生の中立説本の出版にあたっては Maynard Smith がケンブリッジ出版局に対して強力にプッシュした話とか(p. 103),Karl Popper は社会生物学のテスト可能性に関してほとんどボケたような返事しかよこさなかった話とか(p. 125),第4章はエピソードにこと欠かない.

ここまでのところ,よく訳してあると感じるが,雑誌誌名まで翻訳してしまうのはやり過ぎだろう.〈理論生物学雑誌〉(p. 90)はすぐ同定できるからいいとして,たとえば〈季刊生物学評論〉(p. 92)とか〈行動科学と脳科学〉(p. 46)という誌名が,それぞれ〈The Quarterly Review of Biology〉と〈Behavioral and Brain Sciences〉に対応していることが即座にわかる人はあまりいないんじゃないか.そういう翻訳方針で徹底するなら,〈Science〉と〈Nature〉も,同様に,〈科学〉とか〈自然〉と訳してあるのかといえば,これはカタカナ誌名のままだし(不徹底).本書の想定される読者層は決して一般読者ではなく,むしろそれなりの背景知識をもった読者だろうということを考えると,誌名(そして書名)を悩ましく訳されるくらいだったら原語のままの方がむしろよかったと思う.

続く第5章「社会生物学の秘められた背景」は,E. O. Wilson と同時代に活動を始めた Robert Trivers が主役を演じる.Maynard Smith の血縁淘汰理論とTrivers の互恵的利他主義が当時の動物行動学の研究者コミュニティーの中で「雪崩」のごとく思想的転向を押し進め,結果として「集合的過程」(p. 145)とも呼べる現象が社会生物学を一気に前面に押し出したと著者は言う.この章では,1970年代の『Sociobiology』出版前後におけるアメリカとイギリスにまたがる進化学の流れの趨勢を総括する.とくに,結果として『Sociobiology』の起こした衝撃波に消し飛んでしまった同時代の近縁著作(たとえば,Michael T. Ghiselin『Economy of Nature and the Evolution of Sex』1974 など)にも言及されていて,Wilson ただひとりが「総合」を成し遂げたわけではないという点が強調されている.

本書が描き出そうとしてる「学問の流れ」のオモテとウラを論じることは,何よりもまず情報源にアクセスできるということがもっとも重要なことなのだろう.著者は,社会生物学が立ち上がりつつあった(そして論議がもっとも沸騰していた)1980年代はじめから,関係者に対する個人的な接触を通じて,この学問分野の系譜をずっと「観察」してきた.そのスタンスのもちようは,体系学の現代史と体系学者の抗争を記述した David L. Hull の『Science as a Process』に通じるものがある.もちろん,実際に「身をもって体系学してしまった」Hull に比べれば,あくまでも観察者としての身分を堅持した本書の著者は体温差があるのかもしれない.しかし,ここまで読んだ範囲では社会生物学の三十年に及ぶ歴史が生き生きと描かれていて,この分野の成り立ちに少しでも関心をもつ読者にとっては必須文献のひとつと言わなければならないだろう.

Lewontin や Gould らによる猛反撃は次章以降のテーマだ.次の第6章「適応主義への猛攻:遅ればせの科学的批判」では,社会生物学にバクダンを投げた Gould & Lewontin (1979)の有名な〈スパンドレル論文〉をめぐる大騒ぎを鑑賞する.そのバクダン:S. J. Gould & R. C. Lewontin 1979. The spandrels of San Marco and the Panglossian paradigm(Proceedings of the Royal Society of London, Series B, 205: 581-598)は,ダイレクトには当時の the adaptationist program に対する攻撃だったわけだが,それに重なるように,公的なインパクトを狙っての演技からごく私的なレスポンスを含意する主張まで,幾層もの衝撃波が伝播していったと本書の著者は指摘する.この〈スパンドレル論文〉のもつ種々のレトリック的要素については,400ページの論文集:Jack Selzer (ed.) 1993. Understanding Scientific Prose(A Badger Reprint, The University of Wisconsin Press, Madison, xvi+388 pp., ISBN:0-299-13904-2)まるまる1冊がその分析に当てられているほどだ(こんな事例は他に聞いたことがない).しかし,本書の著者は〈スパンドレル論文〉のテクストがもつ修辞テクニックそのものよりは,むしろその論文が同僚科学者たちによってどのような科学的内容をもつペーパーとして読まれたのかという点に注目する.個人的には,著者は健全なスタンスを堅持していると感じた.Gould & Lewontin がレトリックとして存分に駆使した,王立協会のモットーたる〈Nullius in verba〉の解釈をめぐる弁舌,そして〈パングロス〉を戯画的に演技させるその脚本は,それに先立って Gareth Nelson が使った手でもあったと以前 Systematic Zoology 誌の誰かの論文で見た記憶がある(詳細は失念してしまった).確かに,1996年に自費出版した three-item analysis に関する小冊子はまさしく『Nullius in Verba』というタイトルが付けられていたのだが(G. Nelson 1996. Nullius in verba. Published by the author, 24 pp.).

第7章「淘汰の単位と,文化との関連」および第8章「批判に適応する社会生物学:『遺伝子・心・文化』」を読了.第7章の中心テーマである〈unit of selection〉論争に関連して,著者はアメリカの[とくにハーヴァードの]全体論(holistic)的な思潮の影響が大きかったという点に注目する.確か,半世紀前のシカゴ大学生態学派も全体論的という特徴を共有していたそうだが,それと関係があるのかしら.淘汰単位は遺伝子だけではなくもっと階層的に複数の単位があり得るという multi-level selection の話題は,現代ではシンプルに自然淘汰の対立モデル間の選択に関わる論議(model selection)として表面化している.しかし,社会生物学論争が沸き立っていた頃は,もっと哲学的・政治的な文脈のもとで階層的淘汰理論が論じられていたわけで,ルウォンティンやグールドそしてレヴィンスの立論基盤もそこにあったのだろう.エルンスト・マイアのいう「unity of genotype」(「遺伝子型の単一性」[p. 231]と訳されているが,「遺伝子型の統一性」の方がいいかも)もまたこの全体論的思潮に沿っているという指摘は新鮮だ(確かにそうだったのかも).グールドがアンチ社会生物学の文脈で,さらには彼とエルドリッジが断続平衡理論を提唱するときに,繰り返しマイアの「unity」概念を引き合いに出してきたことを思い起こせば,納得できる指摘だ.

続く第8章は,けっきょく和訳されなかったラムズデン&ウィルソン『Genes, Mind, and Culture : The Coevolutionary Approach』(1981年,Harvard University Press, ISBN:0-674-34475-8)をめぐる話.いくつかの書評では徹底的に叩かれたが,文化遺伝子(「カルチャージェン」[p. 272]ではなくって,「クルトゥルジェン」ですね)が提唱された本だった.文化進化モデルをめぐるウィルソンとルウォンティンの「科学的知識」観のちがいが鮮明にあらわれ,モデルを立てることが重要なのだとみなすウィルソンに対して,「科学は証明ずみの知識に基づくものだ」(p. 286)と信じるルウォンティンは徹底的に反論する.それはけっして解消され得ないことが明白な〈メタ〉な信念対立であるだけに,当事者にしてみれば消耗戦だったのだろう.

第9章「道徳的/政治的対立はつづく」は,1970年代の“嵐”の時代が過ぎ,続く1980年代に論議の構造がどのように変貌していったかをたどる.ウィルソンは〈社会生物学〉の最前線から身を引いて,今度は新たな時代を画することになる〈生物多様性〉の大波を作り出すべく尽力することになる(p. 305).社会生物学がらみの論議の舞台は,グールドとウィルソンとの論争に場面を移す.彼らの「長々しいデュエット」の歌詞は本筋から少しずつ的を外しつつも,一般からの注目を集めることになった.

論争が生産的?な山場を越して,退廃期に向かうにつれて,一見「周縁的」な挿話的現象が眼につくようになる.たとえば,当時ぼくもそのウワサを聞いたことがある【Isadore Nabi】の話(pp. 318 ff.).1981年の Nature 誌に載った,ある社会生物学批判レターを書いたとされる【Isadore Nabi】なる人物はいったい誰だったのかという「事件」.書いたとされる本人(Isidore Nabi)からの反論が載ったり,ウィルソンが糾弾したり,偽名を使ったと疑われた[実際には真犯人だった]ルウォンティンの否定発言が掲載されたりという一悶着があった.結局,セーゲルストローレがルウォンティンから「真相」を聞き出し,「事件」の全容は解明された.ここで,注目されるのは【Isadore Nabi】という名称が,現代数学の【ブルバキ】と同じ役割を果たした生物学者の匿名集団だったという事実だ(pp. 321-322).1960年代はじめに結成されたこの“地下集団”には,ルウォンティン,レヴィンズ,レイ・ヴァン・ヴァーレン,L・B・スロボドキンとともに,ロバート・マッカーサー,そして他ならないエドワード・O・ウィルソンが含まれていたという.このエピソードは,ぼくにとってのいくつかの積年の疑問を解決するのに役立った.先立つ第3章で,ウィルソンは著者のインタヴューに答えて,こう語っている:




「六〇年代の初め,私たちは,ヴァーモントの〔ロバート・〕マッカーサーのところへ集まった.メンバーはほとんど同い年で,六人ほどだった.私たちは小さなグループ,六〇年代初めの自意識過剰な小グループを形成した.…… 私たちは,モデルづくりに基づいた新しい集団生物学をどうすれば生み出せるか …… について深く考えながら語り合った」(pp. 70-71).


このグループが【Isadore Nabi】だったのか! ウィルソンは,後に『The Theory of Island Biogeography』(1967年,マッカーサーと共著)という有名な本を書き,その後もジョージ・オスターとの共著で昆虫の社会制進化の理論書,そしてラムズデンとの共著で文化進化に関するモデル本というように,数理生物学者とタッグを組んで本を何冊か書いたわけだが,その基本スタイルの発祥は【Isadore Nabi】にあったと考えていいのだろう.なあるほどねー.

?? この第9章をもって上巻は終わる.この巻を構成する第1部「社会生物学論争で何があったのか」は要するに historiography だ.30年に及ぶ社会生物学論争の経緯を上巻でまずたどったのちに,下巻での「解読作業」に入ろうということだろう.読者によっては,上巻に描かれた historiography さえ読めばそれで十分かもしれないが.

《続》