『風景と記憶』

サイモン・シャーマ

(2005年2月28日刊行,河出書房新社ISBN:4309255167



ずっと前に買ったまま積まれていたが,やっと登攀開始.序論と第1部〈森〉の第1章「リトアニアのバイソンの地にて」を読了.100ページあまり.この著者らしく,ディテールを紡ぎ合わせて巨大なタペストリーを編み上げていく.歴史学の“グールド”みたいな人.

数年前,オランダへの機中で,同じ著者による同じく巨大な『Rembrandt's Eyes』(1999年,Alfred A. Knopf,ISBN:067940256X)を抱えていた.470ページまで読んだのだが,さらに200ページを残して力尽きた.レンブラントのカラー図版をふんだんに盛り込んだとてもおもしろい本だったのだが,エコノミー席で読むべきサイズの本ではなかったかもしれない.ページをフルに開くと隣席を侵犯してしまったから.

風景と記憶』は,単にランドスケープ論というだけではなく,広く生態学的な意味での「原風景」がどのような心象のもとにかたちづくられてきたのかを歴史的にたどった本だ.著者のこだわりは言葉ひとつもおろそかにしない:




この「風景(landscape)」という言葉それ自体が実に多くを語る.「風景」は,十六世紀の終りにオランダから,ニシンや真白なリンネルの生地とともに,英語に入ってきた.“landschap”は,その語源になったゲルマン語の“Landschaft”同様,なべて描写して心地よいものがすべてそうであるように,人間による占有の一単位,一管轄区域を意味した.したがって,それ自体強力な人間工学の場であったネーデルラントの洪水地帯にあった社会が“landschap”概念を発展させたのは偶然であるはずはなく,それが当時の口語英語で“landskip”となったのだ.[…]ネーデルラントにおいては — たとえば,エサイアス・ファン・デ・フェルデの絵のあちこちにいる漁師,牛追い,普通の歩行者や騎乗の人々が示しているように — 人が風景をつくり,さして使うことそれ自体が,驚くべくひとつにまとまった物語を構成していた.(p. 18 )



—— 『Grote Van Dale』を見ると:




【landschap】= landelijke omgeving voor zover men die met één blik overziet, m. n. zoals zij zich in haar samenstel vertoont, de aanblik ervan.



と説明されている.「人間」が最初からそこに関わっているということですね.