『オランダ科学史』

K・ファン・ベルケル[塚原東吾訳]

(2000年10月5日刊行,朝倉書店,東京, xii+229pp., 本体価格4,500円, ISBN:4254105738目次

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オランダ的「科学」のスタイルとは?

オランダという一国に絞ってその科学史を論じた本が日本で出されたのは、本書が初めてではないだろうか。「科学にはっきりとしたオランダ的なスタイルがあったかどうかは、より詳しく調べられるべき課題なのだ」(p.iv)と著者は本書が書かれた目的を明示する。では、オランダ科学に固有の「スタイル」とは何か−それは「実用的性格」(p.5)をもつ自然科学であると著者は言う。この実用的科学の象徴が、16世紀ネーデルラントのシモン・ステヴィンである(第1章)。水利工学をはじめさまざまな分野で実用的な応用数学を研究したステヴィンは、水利・航海・地図・軍事など当時のオランダが求めていた科学技術を提供した。

1575年にライデンに大学が設置されたのを皮切りに、国内にいくつかの大学や学校が開設された後も、この実用的科学という知的伝統は途絶えることがなかったというのが著者の主張である。オランダ科学のこの実用的傾向は、裏を返せば「哲学的次元の欠如」(p.194)につながる。ネーデルラントにおける学会の成立が諸外国に比べて大幅に遅かった(第3章)理由も、その知的伝統の反映であるように感じた。

オランダ実用科学の代表たる水利工学は、明治維新の日本にも大きく貢献した。ネーデルラント共和国で2番目に学会を創設したゼーラント州出身のヨハニス・デ・レイケは、デルフトで応用数学に基づく水利工学を学び、明治初期の日本の河川・港湾の改修工事に長年にわたって活躍した。デ・レイケの伝記『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』の背後に見えるオランダ科学の性格を本書で確かめることができた。

著者の専門分野のせいか、進化学に関する解釈(たとえば p.98)は必ずしも妥当とは私には思えない。理論生物学に関して言えば、18〜19世紀に流行したドイツ観念論生物学の影響を受けたオランダでは、哲学的生物学がもともと盛んで、この傾向は今でも続いていると私は考える。ステヴィンのスタイルには必ずしも当てはまらないこういう例外はあるものの、本書全体を通してみるとバランスよく諸自然科学を見渡した本であるといえよう。訳文はいささか生硬で改善の余地がある。価格が高いのが難点だが、類書がないだけに重宝する本である。

三中信宏(29 November 2000)