『星新一:一〇〇一話をつくった人』

最相葉月

(2007年3月30日刊行, 新潮社,東京, ISBN:9784104598021 → 版元ページ:上巻下巻新潮文庫])

【書評】

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実は,ぼくは星新一の短編はいまだかつてひとつも読んだことがない.このSF作家にのめり込んだ同世代人は少なくないと聞く.しかし,生前の星新一が何を書いたかはとくに関心がない.むしろ,彼をプライベートに取り巻いた人間関係の方がおもしろい.星製薬の創業者にして星薬科大学をも創設した実業界の大立者の父・星一森鴎外家と縁戚関係があり後藤新平とも昵懇だったという星家の人脈が子どもに影響したか.そのあたりのことが読みたい.



第1章「パッカードと骸骨」まで読了.よく調べ挙げたものだと思う.作家・星新一は「ショートショート」の短編作家として知られているが,その分量は400字詰にして「20枚前後」だったそうだ.第2章「熔けた鉄,澄んだ空」と第3章「解放の世代」.中学から大学までのことなど.星新一は東大農学部農芸化学科では坂口謹一郎に師事した.敗戦前後の混乱の後,星製薬がしだいに衰退していく経緯も描かれている.



第4章「空白の六年間」を読む.戦後の混乱期に父がアメリカで客死し,残された満身創痍の会社を継いではみたものの,何もことは進まない.そして,文学の道に惹かれはじめる主人公に伏線が用意される.敗戦直後の日本のSF文壇史が描かれ,サイエンス・フィクションが当時どのような受け止められ方をしたかが綴られる.1950年代にあっては「宇宙旅行」と「ロボット」がもっとも人気を博したSF小説のテーマだったそうだ(p. 174)



第5章「円盤と宝石」では,戦後日本の推理小説SF小説界の動きを概観する.作家・星新一のデビューに江戸川乱歩が間接的に絡んでいたとは知らなかった.第6章「ボッコちゃん」は作家に届いた“天の声”のこと.続く第7章「バイロン卿の夢」は結婚前後のこと.SFを読む習慣はほとんどなく,推理小説もごく限られた作家のものしか読んだことがなかったので,本書に登場する多くの人名はほとんど初見だ.おそらく,早川書房の『SFマガジン』の揺籃期から関わってきた星新一は,戦後のSF文学界のまさに中心にいた人物なのだろう.ぼくは星新一の書いた本には何の関心もないのだが(過去に1冊も読んだことがないし),彼を取り巻いた人間模様の方がずっと興味深い.



第8章「思索販売業」を読む.50ページほど.戦後の日本にやっと定着し始めたSF文壇内での対立と抗争.星新一はそのような絡まりあいの中で,“顔”として知名度が上がると同時に,その人間模様の中で“別格”の detached な位置を占めるようになる.江戸川乱歩の逝去とともに,新たな段階を迎える.



第9章「あの頃の未来」と第10章「頭の大きなロボット」.100ページほど.星新一の著作は文庫化されるとともにベストセラー常連となり,“青少年向け人気作家”としての評判が確立する.筒井康隆らSF同人たちとの破天荒な交流ぶりが描かれているが,ここに登場する推理小説やSF作家たちの本を何一つ満足に読んだことがないので,単に名前をたどるだけ(事情通はきっと楽しめるのだろう).ひとつだけ目に留まったのは,星新一による祖父の大作伝記:星新一祖父・小金井良精の記』(1974年刊行,河出書房新社)だ.ぜんぜん知らなかったが,この伝記は20万部を越えるベストセラーになったという.当時の人類学界を揺るがせたという「明石原人論争」のことも言及されているらしい.



第11章「カウントダウン一〇〇一編」と第12章「東京に原爆を!」を読む.どの伝記でもその真価は「晩年」の描き方にある.あれほどの名声を残した星新一はどうだっただろうか.一般読者による受容,戦後文壇との微妙な距離感,そして日本のSF作家とファンの人脈が織りなすタペストリーの中のどの一角を星新一が占めていたかが見えてくる.星新一ショートショートを少しでも読んだことがあればもっと感銘が深まるにちがいない.個人的には「要素分解共鳴結合」(p. 464)という“作家の極意”に膝をぽんと叩いたりして.



本書の主役はもちろん「星新一」なのだが,一読してみて,彼の父親である「星一」の公私にわたる行状について知りたくなった.著者は大量の関連資料だけでなく,親族を含む関係者への取材を踏まえて本書を書いたという.にもかかわらず,星一を取り巻く謎(というか闇)はなお残されたままだ.



—— 歩き読むにはいささか時間がかかった本だったが,充実した歩行読書ができた.



三中信宏(30 October 2007)