『〈島〉の科学者:パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究』読売新聞書評と備忘メモ

坂野徹
(2019年6月20日刊行,勁草書房,東京, viii+356+30 pp., 本体価格4,700円, ISBN:9784326102747目次版元ページ

読売新聞大評が一般公開された:三中信宏はるかなる南洋の島々 ——〈島〉の科学者…坂野徹著」(2019年8月4日掲載|2019年8月13日公開)



はるかなる南洋の島々

 20世紀前半、両世界大戦にはさまれた時代の日本は北太平洋の島々にその版図を急速に拡げていった。はるかなる南洋へと旅立った多くの日本人の中には科学者も含まれていた。本書は、第1次世界大戦中の1914年に日本が無血占領によって得たパラオ諸島を舞台に、日本の国策的“南進”の一環として第2次世界大戦中までパラオで活動した科学者たちに光を当てた初めての本だ。

 日本学術振興会の肝煎りで1935年に開所された「パラオ熱帯生物研究所」がこの地域の科学研究を支えた。この研究所は、世界最先端のサンゴ礁研究の中心となった。著者は、はるばるパラオに来た研究者たちの経歴を丹念にあとづけしながら、彼ら所員の渡航の契機、島での研究生活の苦労と楽しみ、そして太平洋戦争へとなだれ込んでいく時代の匂いまでも復元する。

 当時のパラオには、外部の研究者たちも生物学・人類学・考古学などの調査に訪れた。たとえば今西錦司をリーダーとするポナペ調査隊活動もそのひとつだった。日本領最前線への“科学的踏査”を求める学問・政治・経済などさまざまな動機づけがあったことがわかる。

 41年の太平洋戦争勃発後は日本を取り巻く社会情勢が大きく変わり、パラオ熱帯生物研究所は43年に閉鎖された。所属の科学者たちも散り散りになり、敗戦まで戦地を転々とした。

 読者は仄暗い迷路のような歴史の洞窟を著者にいざなわれながら手探りで進む。今にも散逸しかねない史料や証言を丹念に紡ぎ合わせなければ本書のストーリーはできあがらなかっただろう。そして、戦後、パラオ関係者の多くが幽明界を異にしたまさにその黄昏時に、宮崎は佐土原島津家の末裔である元所員・島津久健が沈黙と忘却の淵から一瞬のスポットライトを浴びて舞台に躍り出る本書の結末は、さまざまな人物によってつむがれたこの壮大な歴史物語の感動的なエンディングだ。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年8月4日掲載|2019年8月13日公開)



両世界大戦のはざまの時期に旧日本領の最前線となった南洋諸島での研究者群像を描く.第一次世界大戦中の1914年に日本がドイツから取得したパラオ諸島は,大戦後は委任統治領となり,日本が国際連盟を脱退したあとも実質的には “日本領” として支配され続けた.序章から第4章まではこの時期の日本による国策的 “南進” 活動を現地入りした科学者たちの活動に光を当てつつ解明する.

第5章「サンゴ礁の浜辺で──パラオ熱帯生物研究所の来歴」読了.日本学術振興会の肝煎りで創設された「パラオ熱帯生物研究所」(1935〜1943年)の歴史を概観.パラオ熱帯生物研究所初代所長は動物学者・畑井新喜司.畑井新喜司といえば何はさておき “ミミズ研究者” として有名だ.ワタクシの書棚の奥には,蝦名賢造 1995『畑井新喜司の生涯―日本近代生物学のパイオニア』西田書店とともに,畑井新喜司 1980『みみず[復刻版]』サイエンティスト社が並ぶ.その畑井が率いるパラオ熱帯生物研究所が,当時世界最先端のサンゴ礁研究の中心だったことを本書で初めて知った.

続く第6章「緑の楽園あるいは牢獄──パラオ熱帯生物研究所の研究生活」では研究所所員の個別研究(阿部襄・元田茂・羽根田弥太・阿刀田研二)に踏み込む.対象はもっぱら海洋生物だった.第7章「〈島〉を往来する──南洋学術探検隊・田山利三郎・八幡一郎・杉浦健一」では,パラオ熱帯生物研究所を取り巻く外部研究者たちの活動を振り返る.当時の日本領の最前線の “科学的踏査” を求めるさまざまな動機づけがあったことがわかる.第8章「「来るべき日」のために──京都探検地理学会のポナペ調査」で取り上げられるのは,今西錦司率いる1941年のポナペ調査だ.意外なことに,このポナペ調査隊とパラオ熱帯生物研究所との接点はほとんど皆無だったと記されている.

第9章「さらに南へ!──戦時下のパラオ熱帯生物研究所とニューギニア資源調査」読了.1941年に太平洋戦争が勃発して社会情勢は大きく変わり,パラオ熱帯生物研究所は1943年に閉鎖となった.入れ替わりに立ち上がった海軍ニューギニア資源調査隊とともに科学者たちの “南進” は進んだ.このニューギニア資源調査(1943年)の目的地は「蘭印」と呼ばれた旧オランダ領東インドの西ニューギニアだった.蘭印は長らくオランダの支配が続いたので,オランダ語の文献を読む必要があっただろう.南親会編『蘭和大辞典』が1943年に創造社から出版されたのは偶然ではないと推測される.

第10章「パラオから遠く離れて──パラオ研関係者のアジア・太平洋戦争」読了.太平洋戦争下のことども.パラオを離れた科学者たちのある者はマニラへ,ある者は満州へと転進していった.「満州国」「七三一部隊」「鹿野忠雄」「昭南博物館」などなどいくつものパズル・ピースが絡み合った時代.最後の第11章「〈島〉が遺したもの──南洋研究と岩山会の戦後」は敗戦後長く後を引くパラオ研の後日譚.そして,最後の最後に思わぬエビソードが待ち受けていた.ずっと脇役だったはずなのに,こういう人生もあったのかと余韻が残るエンディングだ.良書.