『悩ましい翻訳語:科学用語の由来と誤訳』

垂水雄二

(2009年11月25日刊行,八坂書房,東京,208 pp.,本体価格1,900円,ISBN:9784896949469目次版元ページ

【書評】※Copyright 2009 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

進化学や生態学の多くの翻訳を長年手がけてきた著者による「翻訳語」をめぐるエッセイ集.著者は冒頭でこう述べる:


訳語の選択は異文化コミュニケーションの根幹にかかわるもので,歴史的にも漢語から日本語への翻訳に際して,多くの先人を悩ませてきたにちがいない.しかし西洋語から日本語の翻訳は,言語学的・文化的な背景がまるで異なるため,さらに大きな困難がともなう.(p. 3)

本書の目的は,他人の誤訳や失敗をあげつらうことではなく,一つの訳語決定の背景にどれだけ面倒な問題があるかを知ってもらいたいという思いで,半ば,翻訳者の自己弁護でもある.(p. 8)

最初のふたつの章では,「fruit fly」や「guinea pig」,あるいは「oak tree」や「palm」のような動植物名の誤訳の実例を取り上げながら,名前の翻訳の難しさと悩ましさが語られる.とくに,対応する実物が分布しない地域の言語に翻訳するときにまちがいが生じやすいという.「生物」の名前の翻訳とは別の意味で難しいのが,かたちのない「概念」の名前の翻訳だ.たとえば「natural history」とか「natural selection」の訳語決定をめぐる議論は,言葉が埋めこまれている歴史的文脈を理解しないかぎり適切な選択ができないことを示唆している.また,第4章で論じられているように,高次分類群の名称をことごとく「仮名書き」させるという旧文部省の方針に対して著者は異議を唱える(その通りですね).「チョウ目」はぜひやめようね(ワタクシはけっして使いません).

場合によっては,学問分野ごとの研究者コミュニティーが偏った訳語を定着させてしまうケースがあると,著者は医学や心理学の実例を挙げながら指摘する.たとえば,心理学では,統計学的な意味での「control group」すなわち「対照群」を,どういう経緯によるものか,「統制群」と訳しているらしい(第6章:「心理学用語の憂鬱」).しかも,その誤訳が『学術用語集・心理学編』にまで掲載されているのだから始末が悪い.

「訳語」に対する著者のスタンスはある意味で達観ないし諦観の境地にあるように感じられる.翻訳者は原文の言葉を移し代える際に最大限の努力をすべきであるというモラルが求められることは本書の読者はきっと痛感するにちがいない.その上で,まちがった(と判断される)訳語がすでに広まっている場合,それはそれでしかたがないではないかと著者は随所でもらしている.しかし,訳語の普及と浸透は自然現象ではなく,あくまでも人為的な言語行為なのだから,既存の訳語に不満があるとしたら,負けずに突っ張り続けることも場合によっては必要だと思う.

たとえば,著者は「natural selection」は「自然選択」ではなく,「自然淘汰」と訳すべきであると主張する.私もその意見に同調する.著者は岩波の『生物学辞典(第4版)』では一貫して「自然淘汰」という訳語が採用されていると支持してくれる.ありがたいことだ,私たち当時の進化・系統分野の編集委員が話し合ったとき,『生物学辞典(第4版)』では「自然淘汰」で統一しましょうというポリシーを策定した.その判断は正しかったと今でも確信している.

かつて,分岐学にかかわる基本用語の定訳がまだなかったころ,自分で勝手に訳語を決めてそれを使い続けたことがある.「cladogram」を「分岐図」と訳したり,「vicariance」を「分断」と訳したのは,私が最初だと記憶している.決めた訳語を使い続けることでシェアを伸ばすというのは戦略的にはまちがいなく有効だろう.訳語をめぐるパワーポリティクスを積極的に武器として使うという翻訳のスタンスもあるのではないだろうか.

—— 本書は,生物学の書物にしばしば登場する名前や概念が取り上げられていて,関心のある読者にとっては興味が尽きないだろう.同時に,これから翻訳の場に身を置く者にとっては教訓的でもある.翻訳はつくづくたいへんな仕事だと痛感する.

三中信宏(10 December 2009)